1 を足すたし算は、大きな数まで計算させれば、自然に、「そうか、次の数だ・・」と理解します。

3+1= や、

15+1= や、

33+1= のようなたし算は、

1 を足すたし算です。

 

「次の数」が、

1 を足すたし算の答えです。

 

3+1= の計算は、

3 を、「さん」と読み、

「し」と数えます。

 

15+1= の計算は、

15 を、「じゅうご」と読み、

「じゅうろく」と数えます。

 

33+1= の計算は、

33 を、「さんじゅうさん」と読み、

「さんじゅうし」と数えます。

 

数を順に、

1、2、3、4、5、・・と数えることができる子です。

 

いち(1)から数え始めて、

ひゃくにじゅう(120)まで順に、

数えることができます。

 

ですから、

「さん、し」や、

「じゅうご、じゅうろく」や、

「さんじゅうさん、さんじゅうし」と、

数えることができます。

 

1 を足すたし算を、

言葉で表現すれば、

「次の数」です。

 

でも、

「1 を足すたし算の答えは、次の数だよ」と、

子どもに説明しても、

とても抽象的な説明ですから、

どういうことなのかを、

理解できないことがあります。

 

つまり、

「1 を足すたし算の答えは、次の数だよ」と、

子どもに、

こちらから説明しても、

「えっ、どういうこと?」となるのが普通です。

 

99+1=100 や、

100+1=101 や、

999+1=1000 や、

1000+1=1001 のように、

大きな数にまで、

1 を足す計算をするどこかで、

「そうか、次の数だ・・」と、

子どもは、自然と理解できます。

 

とても抽象的な「次の数」は、

大きな数に、

1 を足すたし算まで計算させると、

自然に理解できます。

 

どのくらいの大きな数まで、

1 を足すたし算が必要なのかは、

大きな個人差があります。

 

39+1= や、

49+1= や、

59+1= くらいまでは、

ほとんどの子に必要なようです。

 

子どもが、

39+1= を計算できないようでしたら、

39 を示して、

「さんじゅうく」と声に出して読み、

1 を示して、

「よんじゅう」と声に出して数えます。

 

ここまですれば、

「そうか、次の数だ・・」と、

理解してしまう子がいます。

 

別の子どもが、

49+1= を計算できないようでしたら、

49 を示して、

「よんじゅうく」と声に出して読み、

1 を示して、

「ごじゅう」と声に出して数えます。

 

ここまですれば、

「そうか、次の数だ・・」と、

理解してしまう子もいます。

 

別の子どもが、

59+1= を計算できないようでしたら、

59 を示して、

「ごじゅうく」と声に出して読み、

1 を示して、

「ろくじゅう」と声に出して数えます。

 

ここまですれば、

「そうか、次の数だ・・」と、

理解してしまう子もいます。

 

さまざまです。

個人差です。

 

また、

「そうか、次の数だ・・」と、

理解できている子が、

999+1= をできないことがあります。

 

「きゅうひゃくきゅうじゅうく、せん」と数えることはできていて、

「せん」を、

1000と書けない子です。

 

こういう子には、

999+1= の = の右を示して、

「いち(1)、ぜろ(0)、ぜろ(0)、ぜろ(0)」と教えます。

 

大きな数まで、

1 を足すたし算を計算することは、

子どもには、

とてもワクワクする体験になるようです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -275)、(+-  {\normalsize {α}} -176)

 

子どものことは、子どものことです。こちらは、子どもに影響を与える働きかけ方を選ぶことができます。

算数の計算問題を目の前にして、

子どもが、

何をしていようが、

していなかろうが、

それは子どものことです。

 

こちらが、

コントロールできそうにみえますが、

コントロールできません。

 

子どものことは、

子ども自身にしかコントロールできません。

 

でも、

子どもが、

自分をコントロールするように、

働きかけることができます。

 

この子に、

こちらが、何をするのか、

何をしないのかが、

こちらのことです。

 

こちら自身のことですから、

自分の習慣に反していることでも、

やりたくないなと感じていることでも、

自分で100%コントロールできます。

 

何をするのか、

何をしないのかを、

自分が自由に選べます。

 

こちらが、

この子とどのような人間関係になりたいのかや、

どのような子に育ってほしいと思っているのかなどが、

こちらの選び方を決めています。

 

少し具体的な例で考えてみます。

 

15-9= や、

13-4= のようなひき算で、

集中が切れてボ~ッとしています。

 

この子がしていることは、

「集中を切らして、ボ~ッとすること」です。

 

この子がしていないことは、

「目の前に置いてあるひき算の計算」です。

 

これが、

この子のしていることと、

していないことです。

 

していることと、

していないことをコントロールしているのは、

ほとんど意識はしていないでしょうが、

この子自身です。

 

「ボ~ッとすること」を選んで、

そして、

自分をコントロールして、

ボ~ッとしています。

 

「ひき算の計算から離れる」ことを選んで、

そして、

自分をコントロールして、

ひき算の計算から離れています。

 

さて、

この子を見ているこちらは、

この子に何をするのかや、

何をしないのかを選びます。

 

「じきに計算に戻るだろう」と判断して、

何もしないことを選ぶことができます。

 

あるいは、

止まっている計算 15-9= に、

この子を戻そうとして、

何らかの働きかけを選ぶことができます。

 

「どうしたの?」、

「できるでしょ・・」のように、

言葉で促すことは、

働きかけの一つです。

 

でもこれは、

「計算していない」と、

子どもをネガティブに見ている危険がありますから、

言い方にマイナスの感情を乗せてしまいます。

 

仮に、

マイナスの感情を乗せずに、

サラリと話すことができるとしても、

言葉で促すことは、

この子をコントロールして、

この子を動かそうとする手伝い方ですから、

「言われたから、計算に戻る子」を育ててしまいます。

 

指示することと、

指示されることの人間関係になってしまいます。

 

少し違う働きかけ方があります。

 

こちらの計算の実況中継を

見せるだけの働きかけ方です。

 

「あなたと同じやり方の計算を見せます」、

「計算を見ることで、

計算する気になったらうれしいけれども・・」。

このような気持ちで、実況中継します。

 

実況中継の実例です。

 

突然、

15-9= の = の右を示して、

「ろく(6)」です。

 

見て聞いた子は、

15-9=6 と、書いてくれます。

 

でも、

ボ~ッとしている時間が長くて、

こちらの働きかけ方が、

突然ですから、

子どもは、何もしないことがあります。

 

「ここ、ろく(6)、書いて」と促します。

こうすると、書いてくれます。

 

「そう」と受けてから、

9 と、6 と、15 を順に示しながら、

「く足すろく、じゅうご(9+6=15)」です。

 

このような実況中継を、

「計算に戻っても、

戻らなくてもあなたの自由だからね」の気持ちで、

3~4問見せて、

突然、やめます。

 

子どもをコントロールできるのは、

子ども自身であることを尊重しています。

 

ただ、

こちらの計算の実況中継を見せているだけです。

 

見せるだけの人と、

まねして計算す人の人間関係になりますから、

信頼関係に発展する可能性があります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -274)、(+-  {\normalsize {α}} -175)

 

2020年11月07日(土)~11月13日(金)のダイジェスト。

20年11月07日(土)

 

「計算したら答えを出せる」レベルから、

「答えを生み出す」レベルに、

年単位の時間をかけて少しずつ、

子どもを案内していきます。

 

20年11月08日(日)

 

式が 3 けたのたし算になる

文章問題の計算は、

筆算を書いて計算させると、

楽です。

 

 

20年11月09日(月)

 

計算の仕方のガイドを選び、

そのガイドを頭に置いたまま、

自分をリードして計算する子に育てます。

 

 

20年11月10日(火)

 

9+3= の 9 を、「く」と読み、

9 の次の 10 から 3 回、

10、11、12 と数える計算の仕方を、

最初から教えることで、

たし算の感覚をつかむ最短コースに導きます。

 

 

20年11月11日(水)

 

自分の計算の仕方と、

出した答えに迷っている子に、

「合っている!」とだけ言い切る

教え方があります。

 

意外と効果的です。

 

 

20年11月12日(木)

 

14-12= と、

14-2= の計算の仕方を聞いて、

できるようにします。

 

質問することは、

できそうでできないことです。

 

 

20年11月13日(金)

 

「合っているのに・・」としないで、

正しい計算の仕方を聞いて受け入れれば、

先に進むことができます。

 

「合っているのに・・」としないで、正しい計算の仕方を聞いて受け入れれば、先に進むことができます。

中学校の数学の計算は、

小学校の算数の計算に比べて、

短期間に多くのことを修得します。

 

だから、

小学校の算数を学ぶときの態度を、

中学校の数学を学ぶときに適した態度に、

入れ替えるようにします。

 

中学校の数学を学ぶときの態度を、

計算例を出して、

少し説明します。

 

 (-2{\Large\frac{1}{3}})^{3}=-8 {\Large\frac{1}{27}} と計算して、

「×」です。

 

「合っているのに・・」と、

子どもは納得できません。

 

3乗です。

(-2 {\Large\frac{1}{3}} ) を、3 回掛けます。

 

式を書くと、

(-2 {\Large\frac{1}{3}} )×(-2 {\Large\frac{1}{3}} )×(-2 {\Large\frac{1}{3}} ) です。

 

でも、この子は、

頭の中で、「3 回掛ける」とだけ考えて、

3 回掛けた式、

(-2 {\Large\frac{1}{3}} )×(-2 {\Large\frac{1}{3}} )×(-2 {\Large\frac{1}{3}} ) をイメージしていません。

 

ただ、「3 回掛ける」と考えています。

 

そして、計算します。

 

「-」を 3 回掛けると、

答えは、「-」です。

 

2 を、3 回掛けて、

2×2×2 ですから、

答えは、8 です。

 

 {\Large\frac{1}{3}} を、3 回掛けて、

答えは、 {\Large\frac{1}{27}} です。

 

このような計算です。

一つ一つの計算は、正しくできています。

 

つまり、

計算の仕方が間違えていますが、

この子なりに筋が通っています。

 

だから、

「合っているのに・・」となります。

 

ここで、

学ぶときの態度を変えます。

 

「×」になったのは、

採点のミスではなくて、

間違った答えだからです。

 

と、このように

計算の仕方の間違いを認めて、

そして、

正しい計算の仕方に、

すぐに入れ替える態度に変えます。

 

この子が、

正しい計算の仕方を知るには、

聞けばいいのです。

 

聞くと、

 (-2{\Large\frac{1}{3}})^{3} (-{\Large\frac{7}{3}})^{3}=- {\Large\frac{343}{27}}=-12 {\Large\frac{19}{27}}

計算の仕方を教えてもらえます。

 

このような正しい計算の仕方を知ったら、

「どうして、仮分数にするのだろうか?」と、

自分で考えます。

 

すると、

 (-2{\Large\frac{1}{3}})^{3} を、

(-2 {\Large\frac{1}{3}} )×(-2 {\Large\frac{1}{3}} )×(-2 {\Large\frac{1}{3}} ) のように

書くことを思い付いて、

分数のかけ算は、

帯分数を仮分数に変えたことを思い出します。

 

そして、

「なるほど」と納得できます。

 

別の計算の例です。

 

3a- {\Large\frac{1}{2}}a=2 {\Large\frac{1}{2}}a と計算して、

「×」です。

 

やはり、

「合っているのに・・」となります。

 

ここでも、

採点ミスではなくて、

計算の仕方が違っているのだろうと受け入れます。

 

そして、

聞きます。

 

すると、

答えの書き方を、

 {\Large\frac{3}{2}}a にすることを知ります。

 

3- {\Large\frac{1}{2}}=2 {\Large\frac{1}{2}}

分数のひき算は正しくできているのですが、

答えの書き方が違うことを知ります。

 

帯分数ではなくて、

仮分数を使います。

 

そういう約束と、

受け入れてしまうと、

先に進みやすくなります。

 

でも気になるのでしたら、

「どうして、仮分数にするのだろうか?」と、

自分で考えます。

 

すると、

帯分数 2 {\Large\frac{1}{2}} は、

2+ {\Large\frac{1}{2}} の + を省略していることを思い出します。

 

文字式 2 {\Large\frac{1}{2}}a の前に付いている数 2 {\Large\frac{1}{2}} は、

 {\Large\frac{1}{2}}×a の × を省略しています。

 

ですから、

1 つの式で、

+ と、× が省略されています。

 

2+ {\Large\frac{1}{2}}×a=2 {\Large\frac{1}{2}}a です。

 

問題と答えを組にして、

3a- {\Large\frac{1}{2}}a=2 {\Large\frac{1}{2}}a を見れば、

+ と、× を省略した書き方と理解できます。

 

でも、

 {\Large\frac{1}{2}}a だけを見れば、

2+ {\Large\frac{1}{2}}a と理解することもできます。

 

数 2 と、

文字式  {\Large\frac{1}{2}}a のたし算です。

 

 {\Large\frac{3}{2}}a と書けば、

このような迷いがなくなります。

 

このように、

アレコレと考えて、

楽しめる子でしたら、

楽しめます。

 

似たような、

別の計算の例です。

 

5a-4a=1a と計算して、

「×」です。

 

やはり、

「合っているのに・・」となります。

 

ここでも、

採点ミスではなくて、

計算の仕方が違っているのだろうと受け入れます。

 

そして、

聞きます。

 

すると、

答えの書き方を、

1 を書かずに、

a とすれば、「〇」と分かります。

 

こちらの教え方は、

とても不親切にします。

 

5a-4a=1a を、

「どこが違うのですか?」と聞く子に、

1 を示して、

「消して」だけです。

 

こどもは、

「えっ、何?」となりますが、

1 を示して、

「消して」だけです。

 

だから、

子どもは受け入れて、

5a-4a=1a の 1 を消して、

5a-4a=a とします。

 

「どうしてですか?」と食い下がる子に、

「1×3=」と書いて、

1×3=3 と、

「1×15=」と書いて、

1×15=15 と書かせてから、

「1×a=」と書けば、

1×a=a とします。

 

こうした子に、

「1 を書かない約束です」と、

ボソッと教えます。

 

このような刺激を受けた子は、

アレコレと考え始めるはずです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -273)、(分数  {\normalsize {α}} -085)

 

14-12= と、14-2= の計算の仕方を聞いて、できるようにします。質問することは、できそうでできないことです。

14-12= の計算と、

14-2= の計算を

区別ができないようです。

 

この子は、

少し考えてから、

計算の仕方を聞きます。

 

とてもいいことです。

 

計算を練習する目的は、

できるようになることです。

 

少し考えて、

計算の仕方を思い付かなければ、

聞けばいいのです。

 

計算の仕方を聞いて、

そして、

計算できるようになればいいのです。

 

計算の仕方を質問する前に、

「聞いてもいいのかな・・」や、

「自分で考えなさいと言われて、

教えてもらえないのだろうか・・」のように、

アレコレと迷っています。

 

このような迷いを乗り越えて、

「聞いてできるようになりなさい」と促す

内面の声に、背中を押されて、

この子は、

14-12= と、

14-2= の計算の仕方を聞きます。

 

内面の迷いを乗り越えて、

こちらに、

計算の仕方を質問した勇気を認めてから、

この子に計算の仕方を教えます。

 

すぐに、

こちらの計算の仕方を実況中継します。

 

計算の仕方を見せるだけにするから、

子どもは、

「よかった、教えてもらえる」と安心して、

こちらの計算を見て聞くことに集中できます。

 

14-12= の

14 の 4 と、12 の2 を順に示しながら、

「4-2=2」と計算して、

= の右を示して、

「に(2)」です。

 

こちらの計算の実況中継を見て聞いた子は、

内面の声に、

「に(2)」を書くように促されて、

14-12=2 と書きます。

 

続いて、

14-2= の

14 の 1 を隠して、

14 の 4 が見えるようにしてから、

「4-2=2」と計算します。

 

そしてすぐに、

隠していた 14 の 1 を見せて、

「じゅうに(12)」です。

 

答えを書くように誘う内面の声に促されて、

14-2=12 と、

この子は書きます。

 

この 2 問で、

「そうか、分かった」と、

計算の仕方を納得できれば、

ひき算を計算できます。

 

納得できなければ、

また聞くことができます。

 

1 度、

計算の仕方を質問して、

教えてもらえていますから、

次も聞くことができます。

 

計算の仕方を思い付かなければ、

質問して、

教えてもらって、

計算できるようになることは、

子どもには、意外と難しいことです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -272)、(+-  {\normalsize {α}} -174)

 

自分の計算の仕方と、出した答えに迷っている子に、「合っている!」とだけ言い切る教え方があります。意外と効果的です。

60÷6=10 と計算して、

「これで正しいのだろうか?」と、

気になったようです。

 

書いた答えを

消してしまいます。

 

そして、

60÷6= として、

計算の仕方を聞きます。

 

この子が知りたいのは、

自分が出した答え 10 が、

「正しいのか?」、

それとも、

「間違えているのか?」です。

 

そして、

間違えているのでしたら、

正しい答えを出せる計算の仕方です。

 

だから、

「10 と書いたのでしょ」、

「合っています」と教えれば、

子どもの知りたいことを満たします。

 

さらに、

念を押すように、

60÷6= の 0 を隠して、

60 の 6 が見えるようにして、

「6÷6=1」と計算して、

= の右を示して、

「いち(1)」と、

計算の仕方を教えます。

 

こちらの計算の実況中継を、

見て聞いていた子は、

60÷6=1 と書きます。

 

続いて、

60 の

6 を隠して、

0 が見えるようにしてから、

「0÷6=0」と計算して、

60÷6=1 の答え 1 の右を示して、

「ぜろ(0)」です。

 

見て聞いていた子は、

60÷6=10 と書くことで、

自分の計算の仕方を、

再確認します。

 

「やはり、そうだ」、

「やり方は、合っていた!」です。

 

ですが、

子どもが、

「えっ、どういうこと・・・」と驚くような

やや非常識な教え方があります。

 

60÷6=10 と計算して、

答え 10 を消して、

60÷6= としてから聞く子に、

突然のように、

しかもボソッとした口調で、

「合っている!」と言い切るだけの教え方です。

 

聞いた子に、

すぐに応じて、

「合っている!」だけです。

 

子どもは、

迷っているだけです。

 

だから、

子どもの気持ち、

迷いに対する指導だけをします。

 

つまり、

「合っている!」だけの教え方です。

 

「えっ、どういうこと・・・」と驚いた子は、

自分の計算の仕方と、

出した答えが正しいことを、

とても強く確信します。

 

(基本  {\normalsize {α}} -271)、(×÷  {\normalsize {α}} -064)

 {\scriptsize {参照:蔵一二三、「計算の教えない教え方 かけ算わり算」(2018)。アマゾン}}

計算の教えない教え方 かけ算わり算―たかが計算 されど算数の根っこ そして人育て

 

9+3= の 9 を、「く」と読み、9 の次の 10 から 3 回、10、11、12 と数える計算の仕方を、最初から教えることで、たし算の感覚をつかむ最短コースに導きます。

3+2= の計算の仕方の教え方です。

 

3 を指に取り、

さらに、2 を指に取り、

指の数を数えて、

答え 5 を出す計算の仕方があります。

 

+ を、

「合わせて」や、

「みんなで」と解釈して、

数を指で表せば、

このようなたし算の計算の仕方になります。

 

指ではなくて、

ビーズ玉のような何かでも同じです。

 

3+2= の 3 と、2 を

同じ何かで表して、

「合わせて」や、

「みんなで」とするこのような計算の仕方で、

たし算を教えるのが普通です。

 

たし算の計算をゲームとみれば、

このようなルールで、

たし算のゲームをすることができます。

 

このようなたし算の計算の仕方を教えて、

子どもが、

繰り返し計算していると、

ほとんどの子は、

計算の仕方を変えてしまいます。

 

3+2= の 3 と、2 を

指で表して、

指の数を数えるとき、

1、2、3、4、5 と数えて、

答え 5 を出します。

 

ですからまず、

3+2= の 3 を指に取るのをやめて、

「さん」と読むことで、

指に取った 3 を数えたことにして、

2 を指に取るだけにして、

4、5 と指を数えて、

答え 5 を出すように変えます。

 

この計算を繰り返すと、

3+2= の 3 だけではなく、

2 を指に取ることも、

自然にやめます。

 

つまり、

3+2= の 3 を指に取ることをやめて、

3 を、「さん」と読むことで、

指に取った 3 を数えたことにして、

2 を指に取ることもやめて、

4、5 と数えることで、

指に取った 2 を数えたことにして、

答え 5を出す計算に変えます。

 

面白いことに、

ほとんどの子が、

このような変え方をします。

 

念のために、

別の問題で説明しますと、

6+4= でしたら、

6 を指に取らないで、

「ろく」と読むことで、

指に取った 6 を数えたことにして、

7、8、9、10 と数えて、

指に取った 4 を数えたことにして、

答え 10 を出します。

 

ほとんどの子が、

このような計算の仕方に、

つまり、

ゲームのルールに変えるのですから、

初めから、

このような計算の仕方を教えても、

子どもは受け入れてくれます。

 

つまり、

4+5= の 4 を見て、

「し」と読み、

5 を見て、

4 の次の 5 から、

5、6、7、8、9 と数えて、

答え 9 を出す計算です。

 

さて、

たし算の計算を習うゴールは、

問題 3+2= を見たら、

答え 5 が浮かぶ感覚を持つことです。

 

でも、

このようなたし算の感覚自体を、

言葉で説明して理解させて、

すぐに感覚を使って、

たし算の答えが浮かぶように、

残念なことですが、できないのです。

 

子どもが、

たし算の計算を繰り返すことで、

答えが浮かぶ感覚を

つかむしかないのです。

 

だから、

たし算の計算の仕方を、

子どもが自力で工夫するような回り道を避けて、

8+3= の 8 を「はち」と読み、

8 の次の 9 から 3 回、

9、10、11 と計算する方法を、

最初から教えるようにします。

 

(基本  {\normalsize {α}} -270)、(+-  {\normalsize {α}} -173)