不等号の式変形は、繰り返し解くことで、慣れてしまう学び方が効果的です。

3x > 4x+5  から、

3x-4x > 5  の変形は、

不等号の向きを変えません。

 

-x > 5  から、

x < -5  の変形は、

不等号の向きを変えます。

 

このような変形の違いは、

理解できていても、

正しく使える保証がない知識です。

 

間違えやすいのです。

 

 

例えば、

不等号の向きを変えない変形で、

3x > 4x+5  から、

3x-4x < 5  と変形するミスです。

 

あるいは、

不等号の向きを変える変形で、

-x > 5  から、

x > -5  と変形するミスです。

 

理解できていて、

正しい知識を持っている子でも、

このようなミスをするのが普通です。

 

 

このようなときに有効なのが、

慣れてしまう学び方です。

 

繰り返すことで、

人は必ず慣れますから、

この慣れることを利用する学び方です。

 

実にシンプルです。

繰り返し解くだけの学び方です。

 

ですが、

自力で、

「慣れた」と感じるまで繰り返す力は、

育つまで年単位の時間が掛かります。

 

育つまでは、

その子のレベルに適した強制で、

繰り返すことをリードします。

 

 

3x > 4x+5  のような不等式を、

繰り返し解きます。

 

「慣れるため」と意識して繰り返します。

 

すると、やがて、

「慣れた」と感じます。

このような自覚の感覚があります。

 

ただこれだけの学び方です。

 

シンプルですが、

とても効果的です。

 

慣れてしまえば、

自然に正しい変形をしてしまいます。

 

ミスしないようになります。

 

 

ですが、

子どもには不評です。

 

少し繰り返すだけで、

「まだやるの?」のような感じになるのが、

多くの子の普通の反応です。

 

「慣れるために繰り返す」や、

「慣れてしまうと間違えなくなる」と、

子どもを説得するよりも、

子どもの文句に一切動じることなく、

繰り返させてしまいます。

 

この子が、面倒さを感じるのは、

慣れていないからです。

 

そして、

慣れていないから、

ミスするのです。

 

 

「慣れること」を目的に、

繰り返していますから、

ミスを教えるときも、

正すことだけを、

言葉少なに教えます。

 

繰り返せば、

必ず慣れるからです。

 

例えば、

3x > 4x+5

3x-4x < 5

-x < 5

x < -5  のようなミスです。

 

この子の解の 2行目の

不等号 < を示して、

「向きが、逆」とだけ教えます。

 

これだけを教えられた子は、

「えっ、どういうこと?」となりますが、

それでも、

3x-4x < 5  を、

3x-4x > 5  に書き直します。

 

続いて、

3行目の不等号 < を示して、

やはり、

「向きが、逆」とだけ教えます。

 

子どもは混乱し始めますけれど、

言われた指示を理解できますから、

-x < 5  を、

-x > 5  に書き直します。

 

最後に、

4行目の不等号 < を示して、

「合っている」とだけ教えます。

 

子どもの頭の中に、

「?」がたくさん浮かんでいますが、

5秒もしないで、

ミスが訂正されるのですから、

自分のミスが、

向きを逆にしていたことと理解します。

 

これが積み重なれば、

自然に「慣れ」が生まれます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -957)、(分数  {\normalsize {α}} -408)

 

計算手順のある計算は、計算する式を自力で探し出して、それから計算します。式を探し出すことと、計算することを、交互に繰り返します。筆算のたし算、筆算のかけ算、約分を例にします。

計算手順の正体は、

計算する式を探すことと、

探した計算式の答えを出すことを、

交互に繰り返すことです。

 

例えば、

筆算のたし算   {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline \end{array} }} \\  でしたら、

一の位のたし算  7+5=  を、

探し出して、

7+5=12  と答えを出して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline \:\:\:\:2\end{array} }} \\  と書きます。

 

続いて、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline \:\:\:\:2\end{array} }} \\  の十の位のたし算  2+1=  を、

探し出して、

2+1=3  と答えを出します。

 

 

ですが、

2+1=3  の答え 3 を、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline \:\:\:\:2\end{array} }} \\  に書く前に、

繰り上がり数 1 を足すたし算

3+1=  を、探し出して、

3+1=4  と計算してから、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline\:\:42\end{array} }} \\  と書きます。

 

このように、

筆算のたし算   {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline \end{array} }} \\  の計算手順で、

一の位のたし算  7+5=  と、

十の位のたし算  2+1=  と、

繰り上がりのたし算  3+1=  を、

探し出しています。

 

計算する式を、

自力で探し出すことを、

計算手順は含んでいます。

 

 

筆算のかけ算  {\normalsize{\begin{array}{rr} 67 \\\:\times\:\:\: 8 \\ \hline \end{array}}}\\  でしたら、

一番目のかけ算  8×7=  と、

二番目のかけ算  8×6=  と、

繰り上がりのたし算  48+5=  を、

自力で探し出して、

計算します。

 

分数の約分   {\Large\frac{6}{10}}=  でしたら、

分子のわり算  6÷2=  と、

分母のわり算  10÷2=  を、

自力で探し出して、

計算します。

 

(基本  {\normalsize {α}} -956)、(+-  {\normalsize {α}} -511)、(×÷  {\normalsize {α}} -175)、(分数  {\normalsize {α}} -407)

 

棒のこちら側の端に、一定の速いスピードで、数える計算で答えを出すことが付いています。棒の向こう側の端に、たし算の感覚が付いています。こちら側の端だけを持ち上げることができます。向こう側の端は、自然に自動的に持ち上がります。

1本の棒をイメージします。

 

持ち上げることができるのは、

こっち側の端です。

 

向こう側の端に、

たし算の感覚が付いた棒です。

 

繰り返しになりますが、

向こう側の端を持つことも、

持ち上げることもできません。

 

こちら側の端を持って、持ち上げれば、

向こう側の端も、

自然に自動的に持ち上がります。

 

たし算の感覚の教え方を

理解する助けになるモデルです。

 

 

たし算の感覚は、

8+5=  を見たら、

見た瞬間に、

答え 13 が出る感覚です。

 

口頭で、

「はち足すごは?」と聞かれても、

瞬時に、

答え 13 が出ます。

 

8+5=  を見ても、

「はち足すごは?」と聞かれても、

どちらでも、答え 13 が、

瞬時に出ます。

 

 

あるいは、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 17 \\\:\times\:\:\: 8 \\ \hline \end{array}}}\\  を、

8×7=56  と掛けて、

{\normalsize{\begin{array}{rr} 17 \\\:\times\:\:\: 8 \\ \hline \:\:\:6\end{array}}}\\  と書いて、

5 を繰り上がり数として覚えて、

8×1=8  と掛けてから、

繰り上がりのたし算  8+5=  を、

頭の中で計算しようとして、

答え 13 が出るときも、

たし算の感覚が働いています。

 

このような繰り上がりのたし算では、

8+5=  が書いてありません。

「はち足すごは?」の音にもなっていません。

 

ただ、

8+5=  をボンヤリと見るような

考えるような

ハッキリとしない状態です。

 

でも、

たし算の感覚が働いて、

答え 13 が出ます。

 

 

このようなたし算の感覚が、

棒の向こう側の端に付いています。

 

持ち上げることができるのは、

棒のこちら側だけです。

 

棒の向こう側は、

こちら側を持ち上げれば、

自然に自動的に持ち上がります。

 

そして、

棒のこちら側の端にあって、

持ち上げることができることは、

8+5=  の数える計算の

スピードを速くすることです。

 

8+5=  の 8 の次の 9 から、

+5 の 5回、

9、10、11、12、13 と数えて、

答えを 13 を出す計算が、

数える計算です。

 

子どもが、

数える計算で、

8+5=、6+4=、5+9=、・・・のような

100問を、

一定の速いスピードで次々に答えを出すことが、

棒のこちら側を持ち上げることです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -955)、(+-  {\normalsize {α}} -510)

 

程よい視点から式全体を見ます。すると、整式÷分数式が、整数÷分数に似ていることに気付きます。

式全体を見る視点があります。

 

計算するときは、

式に近い視点から見ています。

 

ページ全体を見る視点は、

式からかなり遠い視点です。

 

近すぎません。

遠すぎません。

程よく離れて見ると、

式全体が見えます。

 

 

例えば、

 {(3ab-2a^{2}b)÷{\Large\frac{1}{2a}}}=  を、

程よい視点から見ます。

 

すると、

3÷ {\Large\frac{1}{2}}=  のような

分数のわり算に似ていることに気付きます。

 

この分数のわり算は、

÷ を、× に書き換えて、

ひっくり返して、

3÷ {\Large\frac{1}{2}}=3× {\Large\frac{2}{1}}  としてから掛けます。

 

この分数の計算の類推で、

 {(3ab-2a^{2}b)÷{\Large\frac{1}{2a}}} {(3ab-2a^{2}b)×{\Large\frac{2a}{1}}}  と、

書き換える力を子どもは持っています。

 

このように、

 {(3ab-2a^{2}b)÷{\Large\frac{1}{2a}}}=  を、

程よい視点から見ることができれば、

計算できます。

 

 

さて、

「程よい視点から見ること」を、

どのように教えればいいのでしょうか?

 

子どもが、

「程よい視点から見ること」を

自然に修得できる計算が、

実は、

分数の四則混合です。

 

計算する前に、

計算順を決めるとき、

程よい視点から見ています。

 

例えば、

(1 {\Large\frac{1}{2}}-1.2)÷(1.4-1 {\Large\frac{1}{3}} )=  を、

計算する前に、

① 左のかっこの中の - 、

② 右のかっこの中の - 、

③ 中ほどの ÷ のように、

計算順を決めようとすれば、

式全体を、程よい視点から見ることになります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -954)、(分数  {\normalsize {α}} -406)

 

計算の正体は、いくつかの動作を、一定の順に積み重ねることです。筆算のたし算を例にしますが、言葉で説明しようのないことがあります。

計算問題の答えを出すことを単純化すれば、

いくつかの動作を積み重ねているだけです。

 

見ることや、

読むことや、

数えることや、

書くことや、

覚えることのような動作です。

 

例えば、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 68 \\ +\: 93 \\ \hline \end{array} }} \\  の筆算のたし算でしたら、

一の位の 8 と 3 を、

上から下に見て、

それぞれを、

「はち」、「さん」と認識して、

たし算の感覚の自動スイッチを入れて、

答え 11 を出して、

11 の一の位の 1 だけを切り離して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 68 \\ +\: 93 \\ \hline \:\:\:\:1\end{array} }} \\  と書いて、

11 の十の位の 1 を切り離して、

一時的に覚えて、

次に、

十の位の 6 と 9 を、

上から下に見て、

それぞれを、

「ろく」、「く」と認識して、

たし算の感覚の自動スイッチを入れて、

答え 15 を出して、

一時的に覚えた 1 を思い出して、

15 に足して、16 として、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 68 \\ +\: 93 \\ \hline161\end{array} }} \\  と書きます。

 

これだけの動作を、

ここで紹介しているような

筆算のたし算特有の一定の順に、

積み重ねることで、

答えが出ます。

 

動作を積み重ねているだけです。

そうすると、答えが出ます。

 

 

さて、

この例で説明した計算の中の

「はち」、「さん」と認識して、

たし算の感覚の自動スイッチを入れることは、

言葉で説明して理解させることが

とても難しい内容です。

 

8 を見て、

「はち」と読むだけでしたら、

たし算の感覚の自動スイッチが入りません。

 

認識するから、

たし算の感覚の自動スイッチが入り、

答え 11 が出ます。

 

言葉で説明しようのないことです。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 68 \\ +\: 93 \\ \hline \end{array} }} \\  の 6 と 9 を隠して、

「はち足すさん、じゅういち」と言って、

3 の真下を示して、

「ここ、1」、

「指、1」とリードするようにすれば、

計算そのものを見せていますから、

「はち」、「さん」と認識して、

たし算の感覚の自動スイッチを入れることが、

子どもに何となく伝わります。

 

 

また、

11 の十の位の 1 を切り離して、

一時的に覚えることも、

言葉で説明して理解させることが

とても難しい内容です。

 

こちらが実際にしていることですが、

切り離すことは、

言葉で説明しようのないことです。

 

「指、1」とリードして、

子どもに、指を 1本伸ばさせます。

 

こうすれば、

11 の十の位の 1 を切り離して、

一時的に覚えていることになりますから、

何となく子どもに伝わるはずです。

 

このように、

いくつかの動作を積み重ねていることが、

計算の正体ですが、

これも、言葉で説明しようのないことです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -953)、(+-  {\normalsize {α}} -509)

 

子どもの内面に、その子をリードするリーダーがいます。このリーダーが、たし算の感覚を持つと、この子は、瞬時に答えが出るようになります。速いスピードでリードされた子は、短時間で答えを出すことができます。こうなっています。

7+6=、9+3=、8+7=  のたし算は、

7+6=  を見たら、即、答え 13 が、

9+3=  を見たら、即、答え 12 が、

8+7=  を見たら、即、答え 15 が、

出てしまうたし算の感覚を、

子どもをリードする

子どもの内面のリーダーが持つまで、

繰り返し練習します。

 

そして、

内面のリーダーが、

たし算の感覚を持つと、

次のように、子どもをリードします。

 

子どもをリードして、

1番目のたし算の問題を見させます。

 

見た子の目から、

見た問題  7+6=  が飛び込み、

内面のリーダーに届きます。

 

リーダーは、

たし算の感覚を持っていますから、

子どもが見た問題  7+6=  の

答え 13 を瞬時に出して、

子どもをリードして、

7+6=13  と書かせます。

 

と、

このような流れで、

子どもの内面のリーダーは、

子どもをリードします。

 

 

たし算の感覚を持つまでは、

子どもをリードして、

1番目のたし算の問題を見させてから、

次のようにリードします。

 

たし算の感覚を持った後と、

まったく違うリードです。

 

見た子の目から、

見た問題  7+6=  が飛び込み、

内面のリーダーに届くことは同じです。

 

届いたら、

7 の次の 8 から、

+6 の 6回、

この子をリードして、

8、9、10、11、12、13 と、

数えさせます。

 

そして、

7+6=13  と書かせます。

 

 

たし算の感覚を持つまで、

このように数える計算を続けます。

 

ウンザリするまで、

数える計算を続けることで、

子どもをリードする内面のリーダーは、

たし算の感覚を持ちます。

 

そして繰り返すことで、

子どもをリードするリーダーは、

子どもに数えさせるリードに上達して、

自然に、リードのスピードが速くなります。

 

こうなると、

7+6=  を見てから、

7+6=13  と書き終わるまでの時間が

短くなります。

 

このように、

子どもの内面のリーダーが、

数えさせるリードのスピード次第で、

リードされた子が、

たし算の答えを書き終わるスピードが、

決まります。

 

 

もちろんのことですが、

短くなっても限りがあります。

 

どこまでも短くはなりません。

 

そして、

ある一定の速いスピードで、

内面のリーダーが、

子どもをリードできるようになると、

たし算の感覚を持ち始めます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -952)、(+-  {\normalsize {α}} -508)

 

未知数 z の欠けた方程式 3x-y=19 を含む3元1次連立方程式の指導で、3x-y+0z=19 を、ヒントとして書くことや、「何、消す?」を 2度も聞くことのような下手なことをしたら、後から反省して、より望ましい指導を練ります。

{\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}x+y+z=13\\x+2y-z=7\\3x-y=19\end{array}\right.\end{eqnarray}}  を、

解く前の子に、

「何、消す?」と聞きます。

 

ボソッとした口調で、

しかし、

子どもを尊重した気持ちで聞きます。

 

 

3番目の方程式  3x-y=19  が、

未知数 z のない形です。

 

こちらは、

未知数が欠けているから、

その分だけ、

楽に解くことができると思います。

 

でも、

連立方程式を学習中の子どもは、

「困った・・・」と思うものです。

 

{\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}x+2y-z=12\\2x+y-4z=8\\4x-y+3z=26\end{array}\right.\end{eqnarray}}  のように、

すべての方程式に、

すべての未知数がある形に、

見慣れているためです。

 

未知数 z が、

欠けただけなのですが、

「何かおかしい・・・」と、

身構えてしまいます。

 

だから、

「何、消す?」と聞かれても、

「分からない」と答えてしまいます。

 

 

「分からない」と答えられたこちらは、

やはり、

困ってしまいます。

 

「分からないではなくて」、

「 x や、y や、z を、選んで・・・」と、

戸惑ってしまいます。

 

そして、

してはいけないと思っているヒントを、

戸惑ったために、慌てて、

出してしまいます。

 

3番目の方程式  3x-y=19  を示して、

「これ」と言ってから、

無言で、

3x-y+0z=19  と、書いてしまいます。

 

そしてまた、

「何、消す?」と聞いてしまいます。

 

同じセリフ、

「何、消す?」を、2度使ってしまいます。

 

だらしのない

くどい教え方をしてしまいます。

 

 

このような下手な教え方をした晩、

一人静かに思い返します。

 

「あの教え方は、まずかった」、

「ヒントを出してしまった」、

「まったく同じセリフを、

オウム返しに、2度も言ってしまった」、

と、このように振り返ります。

 

そして、

「どのような教え方に変えれば、

子どもの頭を刺激できるのだろうか?」と、

アレコレと思案します。

 

原則は、分かっています。

こちらの出方を、最小にすることです。

 

3x-y+0z=19  を書くヒントは、

遠回りであり、

無言ではあったものの

出方が最小ではありません。

 

しかも、

「何、消す?」を、

2度聞いています。

冗長です。

 

と、反省していると、

「ハッ」と、思い付きます。

 

こちらが解くとき、

まず、解き方を決めますが、

ここを省略して、

解くことを見せることにしたら・・・

 

しかも、

「何、消す?」で決めた解くことを見せれば・・・

 

 

それが、

{\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}x+y+z=13\\x+2y-z=7\\3x-y=19\end{array}\right.\end{eqnarray}}  の

1番目と、

2番目の方程式を順に示しながら、

「これと、これ」と言って、

「足す」です。

 

これだけの実況中継を、

子どもに見せる教え方です。

 

1番目  x+y+z=13  と、

2番目  x+2y-z=7  を、

「足す」と見せて、教えられた子は、

一瞬、「えっ」となるでしょうが、

すぐに、

(1番目)+(2番目)を頭の中で足して、

2x+3y=20  と、

z が消えることに気付いて、

「なるほど」となるはずです。

 

と、

下手な教え方をしたと感じた日の夜、

ここまで、

教え方を練ってしまいます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -951)、(分数  {\normalsize {α}} -405)