現在の姿を見て接すれば、人は現在のままだろう。人のあるべき姿を見て接すれば、あるべき姿に成長していくだろう(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)。

親が、

乳幼児にしていることです。

 

生まれた子が、

立って歩くまでに、

親がしていることです。

 

生後、3~4か月で

首がすわります。

 

目の前の乳幼児がそうでも、

親が見ているのは、

あるべき姿:立って歩く姿です。

 

5~7か月で、

寝返りをうちます。

 

親が見ているのは、

立って歩く姿です。

こうしています。

 

支えなしで座っても、

ハイハイしても、

かまり立ちしても、

つたい歩きしても、

親が見ているのは、

立って歩く姿です。

 

だから、

乳幼児は立って歩く姿に

成長していきます。

 

運動能力の成長については、

目の前の姿ではなくて、

あるべき姿を見て接することを、

自然にできます。

 

不思議なことですが、

同じ親が

算数や数学の計算になると、

目の前の姿だけを見てしまいます。

 

あるべき姿を見ません。

あるべき姿の子に話しません。

 

目の前の子は、

5+3 のたし算を、

「ご」、「ろく、しち、はち」と

指で数えて、

答え8を計算しています。

 

これがこの子の

現在の姿です。

 

では、

あるべき姿は、

何でしょうか?

 

6+8、4+6、9+5、7+5、8+8、

4+8、6+5、7+9、8+5、4+4、

5+7、8+7、9+6、4+7、5+6、……

このようなたし算100問を

深い集中を保って5分以下で

計算してしまう姿です。

 

6+8 を見たらすぐ、

答え14が

指で数えなくても出て、

6+8=14 とパッと書いて、

すぐ次の 4+6 を見て、

答え10が出て、

4+6=10 とパッと書いて、

と、次々に計算していく姿です。

 

このあるべき姿を見て、

5+3 を指で数えて計算する子が、

集中を切らせていたら、

計算に戻す手伝いをします。

 

あるべき姿を見て、

あるべき姿の子に接しますから、

集中が切れていることも

指で数えていることも

気になりません。

 

ただ子どもを代行して、

子どもと同じ計算:指で数えて、

計算してしまうことで、

子どもを計算に戻します。

 

すると子どもは、

あるべき姿に成長していきます。