真剣にものを考える人たちは必ず、それぞれに意見が異なるということだ。彼らが自分の違いを本気で伝えようとするなら、こちらも本気で受け止めるべきなのである(スティーブン・R・コヴィー)。

5+8 の5を見て、

「ご」と読んでから、

指で8回

「ろく、しち、はち、く、じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん」と数えて、

答え13を出しています。

 

5~6問計算すると、

集中が切れて、

計算から離れます。

 

子どもは、真剣です。

とても強い気持ちで、

たし算の力をつかもうとしています。

 

5+8 を見たら、

指で数えなくても、

答え13が浮かぶようになりたいのです。

 

そうでありながら、

集中が切れます。

 

こちらが真剣であれば、

5~6問で集中は切れません。

 

子どもとこちらは、

学び方がかなり違います。

 

このような違いに出会うと、

普通、

どちらかが正しいと思います。

 

そして、

どちらが正しいのかを

決めようとします。

 

このような考え方だけでしょうか?

 

やや非常識ですが、

ただ違っているだけとして、

両方を正しいと受け入れることもできます。

 

子どもは子どもの学び方が、

こちらはこちらの学び方があって、

かなり違っています。

 

子どもは真剣です。

たし算の力をつかもうとしています。

 

いつも5~6問ではありませんが、

でも、

5~6問で集中が切れます。

 

こちらと違っているだけです。

 

このように考えると、

目の前の子どもを

より正確に理解することができます。

 

真剣ですから、

5~6問を深い集中で計算します。

 

突然、

何かで集中が切れます。

 

少しすると、

突然、

深い集中で計算し始めます。

 

このようにして、

子どもは計算を進めていることが、

理解できます。

 

こちらがリードするとき、

このことを利用します。

 

3+8 をリードするとき、

突然に

計算し始めます。

 

突然、

「さん」と言ってから、

「し、ご、ろく、しち、はち、く、じゅう、じゅういち」と、

指で8回数えて、

答え11を出します。

 

いきなりの深い集中です。

速いスピードで、

テキパキサッサと計算をリードします。

 

同じような計算で、

5~6問リードしてから、

突然、

リードをやめます。

 

このような子どもの学び方で、

子どもをリードします。