あまりにも多くの人々が家では親兄弟に比較され、学校でもスポーツでも職場でも常に誰かと競争することを強いられている(スティーブン・R・コヴィー)。

体や運動能力、

知性や情緒、

これらの発達は、

見比べることが易しいために

競争を強いられています。

 

でも、

人の内面の力の中に、

ほとんど意識することがないために

見比べることが難しくて

競争から無縁になっていることがあります。

 

算数や数学の計算問題で、

競争と無縁な

内面の力を育てることができます。

 

5+6 を、

指で数えて計算している子です。

 

5+6 の5を、

「ご」と読んで、

「ろく、しち、はち、く、じゅう、じゅういち」と

指で6回数えて

答え11を出します。

 

指で6回数えれば、

答えを出せますが、

50問100問を計算すると、

途中で何回も

集中が切れます。

 

集中が切れたままですと

計算できませんから

集中を計算に戻します。

 

このようにできるのが、

率先力の主体性です。

 

子どもの率先力の主体性が強いと、

「計算していない」ことに気付いて、

「計算する」ことに戻ることができます。

 

率先力の主体性が弱いと、

集中が切れたままになって

計算に戻るまで時間がかかります。

 

この率先力の主体性は、

ほとんど意識されませんから

見比べられることがなくて

誰かと競争されません。

 

ですから、

率先力の主体性に、

勝ち負けがありません。

 

どの程度の率先力の主体性が

育っているのかだけです。

勝ち負けではありません。

 

競争とは無縁の

内面の力の1つが

率先力の主体性です。

 

他にも

競争と無縁な内面の力があります。

 

6+8、4+6、9+5、7+5、8+8、

4+8、6+5、7+9、8+5、4+4、

5+7、8+7、9+6、4+7、5+6、……

このようなたし算100問を見て、

「嫌だな」と感じることも、

「大好き」と感じることも、

子どもが自由に選べます。

 

普通、

「嫌だな」と感じるようですが、

自分が選んでいるとは思ってもいません。

 

100問のたし算の計算問題が、

「嫌だな」と感じさせていると思っています。

 

自分が選んでいると意識していないだけです。

「嫌だな」の気持ちを

子どもが自分で選んでいます。

 

自分の気持ちを選ぶ力を育てていれば、

「嫌だな」ではなくて、

「大好き」を選ぶことができます。

 

「遊びに行く前に計算する」でも、

「先に遊んだ後、計算する」でも、

子どもが自由に選べます。

 

自分がすることを選ぶ力を

育てていれば、

「遊びに行く前に計算する」を選び、

そうできます。

 

このような内面の力は、

ほとんど意識されませんから

見比べられることがなくて

競争とは無縁です。

 

このような内面の力を

計算問題で育てると決めれば、

誰とも競争されることなく

のびのびと育てることができます。