子どもは、いたずらをしている自分と、たし算を計算している自分の両方を見ています。

6+7 や 9+3 のようなたし算を

100問計算しています。

 

6+7 の6を「ろく」と黙読して、

「しち、はち、く、じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん」と

指で7回数えて、答え13を出します。

 

9+3 でしたら、

9を「く」としてから、

「じゅう、じゅういち、じゅうに」です。

答え12が出ます。

 

8+6 を見るとすぐに、

+の左の8を見て、「はち」と読み、

続いて、+の右の5を見て、

5回、「く、じゅう、じゅういち、じゅうに、じゅうさん、じゅうし」と数えます。

 

このような計算の流れに、

この子は慣れています。

 

でも、チョットしたキッカケで

いたずら書きを始めます。

 

そして、

たし算の計算が止まります。

 

目の前に見える子どもは、

いたずら書きをしています。

たし算を計算していません。

 

ですが、この子は心の中で、

たし算を計算している自分を

いたずら書きをしている最中に見ています。

 

こちらは、

このままではいけないと思って、

計算に戻すために子どもを手伝います。

 

目の前のいたずら書きをしている子ではなくて、

この子が心の中に見ている

たし算を計算している子を手伝います。

 

するとこの子は、

こちらの手伝いについてきて計算に戻ります。

 

こうなる理由を、

別の例で話します。

 

喉が渇いて水を飲みたい子に、

水の入ったコップを手渡します。

 

喉の渇いたこの子は、

心の中の水を飲んでいる自分を見ています。

 

水の入ったコップを持っていなくても、

水を飲んでいる自分が見えています。

 

でも、

「喉が渇いた」と騒いでいます。

 

こうなっていることを知っていますから、

水の入ったコップをこの子に渡すとき、

水を飲んでいる子に渡すはずです。

 

まだ飲んではいませんし、

水の入ったコップを持っていませんが、

受け取ったコップの水を飲んでいる子に渡しています。

 

これと同じことです。

 

いたずら書きをしている子に、

たし算を計算している子だけを見て

たし算をリードします。

 

すると、子どもは、

こちらのリードを素直に受け入れてくれます。

 

(基本034-91)