の見本を見て、
をまねして、
計算するように誘います。
計算できない目の前の子は、
声を立てないで、
静かに泣いて、
涙がポトリと落ちます。
このことだけを見るのは、「こちら」です。
今の「こちら」が見ています。
「鉛筆は持ったまま」や、
「目の前に問題を出したまま」や、
「キチンと座ったまま」のように
見ようとすれば
実にさまざまなことが見えるはずです。
今の「こちら」の見えるものを。
見ています。
それが、ポトリと落ちた涙です。
他者の間違った行動を責め、
良い行動は認めようとしないのです。
こうなっています。
だから、
「泣かない」、
「涙を拭いて」、
「問題が見えないでしょ」と、
責める気はないのですが、
責めてしまいます。
静かに泣きながらも、
計算しようと耐えている子には、
とてもつらい言葉です。
「ポトリと落ちた涙」が見えていますが、
すぐに、「他に何が見える?」とすれば、
「計算していない」となりますから、
「鉛筆は持ったまま」や、
「目の前に問題を出したまま」や、
「キチンと座ったまま」のような
良い行動が見えます。
「こちら」が、少しだけ違う人になるから、
今までとは違うことを見るようになります。
するとさらに、
「九九の力は残っている」や、
「2けた×2けたの計算ならばできる」などの
目の前の子どもの内面の力まで見るように、
「こちら」が、もっと違う人になることができます。
今までとは、
ここまで違うことを見る違う人になれば、
静かに泣いていることを少しも気にしないで、
計算をリードする人になります。
「このれい(0)、ここ」で、
20の0を下に動かします。
子どもが、 と書きます。
静かに泣きながらも、
計算しようとしている子の
計算だけを手伝うこのようなリードです。
少し脇道の話ですが、
の20は、
一の位が、0です。
一の位が、何も無くて、
(だから、0です)
十の位が、2です。
十の位の筆算のかけ算です。
答えも、十の位になりますから、
一の位に何もありません。
(つまり、一の位は、0です)
答え460の0は、
一の位に何も無い、
十の位のかけ算の答えです。
(×÷026-91)