漠然と何かを教えてもらえる姿勢の学びよりも、学んだ後、学んだ内容を人に教える目的を持った学びは、とても深い学びです。

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 68 \\ +\: 35 \\ \hline \end{array} }} \\ のような筆算のたし算の

計算の仕方を学びます。

 

帰ってきた子に、

「何を勉強したの?」と聞きます。

 

子どもが学んだ内容をチェックするのではなくて、

学んだ内容を教える先生役の子どもへの

演技指導が目的です。

 

生徒役のこちらは、

先生役の子どもから学ぶのですから、

先生役の教え方の上手下手が気になります。

 

先生役の子どもが上手に教えてくれれば、

生徒役のこちらは楽に学ぶことができます。

 

教科書や問題集を子どもは出して、

「あのね、たし算を習った」、

「こことここを足して、13だから、」、

「3をここに書いて、1を覚えて」、

「それから、こことことで、9だから」、

「1増えて、10になって、ここに書くの」。

このように、教えてくれます。

 

もちろん、生徒役のこちらは、

「分かった」のような合いの手を入れます。

 

勉強で、

何をしたのかではなくて、

何を学んだのかを教えてもらいます。

 

知ったことや、

できるようになったことです。

 

子どもが、

「難しくて、よく分からなかった」と言って、

勉強したことを話せないとしたら、

「そうなの」と受けてから、

「分かったところを教えて」と促します。

 

「分からなかった」ところではなくて、

「分かった」ところで、

子どもに先生役を演じてもらいます。

 

このようなやり取りを始めると、

最初の頃は、

子どもの先生役も、

こちらの生徒役も、

どちらもぎこちないのが普通です。

 

でも、毎日繰り返すと、

子どもの先生役の演じ方が、

日に日に上達します。

 

子ども役のこちらの演技も、

先生役の子どもの上達に合わせるように、

やはり上達します。

 

子どもが学んできたことを

チェックしようとする気持ちが、

こちらから消えて、

生徒役で真面目に学ぶようになります。

 

このようにやり取りを続けると、

子どもの学ぶ目的に、

教えるために学ぶことが加わります。

 

このようにして育った子が、

 {\Large\frac{2}{4}} のような約分を学びます。

 

「何を勉強したの?」と聞きます。

 

教科書や問題集を使って、

「これは分数で、ここは分子で、ここは分母」、

「分子と分母を2で割る」、

「同じ数の2で割ると、

分子は1になって、分母は2になる」、

「この計算を約分という」。

このような教え方に育ちます。

 

自分が計算できるようになるだけではなくて、

教えるために学ぶことも、

この子の学ぶ目的ですから、

約分の計算の仕方を勉強するとき、

とても真剣です。

 

(基本  {\normalsize {α}} -024)、(+-  {\normalsize {α}} -017)、(分数  {\normalsize {α}} -004)