これから教えようとする計算の仕方を、「分かっている」と仮定します。とてもおかしな仮定ですが、子どものできるようになった部分だけを見る利点があります。

算数の計算の仕方を教えるとき、

子どもの力を仮定します。

 

「どのようなことができるのか?」を仮定します。

 

そして、

この力を利用して、

計算の仕方を教えます。

 

例えば、

6+3=9、2+1=3 と

計算する力を持っていると仮定して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 26 \\ +\: 13 \\ \hline \end{array} }} \\ の計算の仕方を教えます。

 

ですが、

「どのようなことができるのか?」は、

見えない力ですから、

「これはできるだろう」と推測します。

 

つまり、

利用したい子どもの力は、

「この力はあるだろう」の仮定です。

 

例えば、

3×4=12 や、3×2=6の

九九はできると仮定して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 24 \\ \:\times \:\:\:\: 3 \\ \hline \end{array} }}\\ の計算の仕方を教えるときです。

 

繰り上がりのたし算 6+1=7 で、

子どもがとても戸惑うと、

たし算の力がなくなったようにみえます。

 

6+1=7 と計算するたし算の力は、

なくなったようにみえるだけで、

あると仮定して教えるとうまくいきます。

 

さて、

ほとんど使われることがありませんが、

とても大胆な仮定があります。

 

これから教えようとしている計算の仕方を、

「分かっている」としてしまう仮定です。

 

とてもおかしなことです。

 

「計算できない」から教えるのです。

 

「分かっている」と仮定してしまったら、

教える必要のないことを

教えるように感じます。

 

実は、

大きな利点があります。

 

初めての  {\normalsize { \begin{array}{rr} 26 \\ +\: 13 \\ \hline \end{array} }} \\ の計算の仕方を、

「分かっている」と仮定します。

計算の仕方を教えません。

 

その先の

計算するスピードを教えることができます。

 

計算の仕方を、「分かっている」と仮定したから、

こちらの計算を見せて、

計算のスピードを教えることができます。

 

計算のスピードは、

どのくらい速くなってきたのかを見ますから、

子どもの見方がプラスです。

 

さらに、

子どものできるようになった部分だけを、

自然に見るようになるという

利点があります。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 26 \\ +\: 13 \\ \hline \end{array} }} \\ は、

いくつかの計算の組み合わせです。

 

① 6と3を上から下に見ます。

② 6+3=9 と計算します。

③ 3の真下に、 {\normalsize { \begin{array}{rr} 26 \\ +\: 13 \\ \hline \:\:\:\:9\end{array} }} \\ 書きます。

 

④ 2と1を上から下に見ます。

⑤ 2+1=3 と計算します。

⑥ 1の真下に、 {\normalsize { \begin{array}{rr} 26 \\ +\: 13 \\ \hline\:\:39\end{array} }} \\ 書きます。

 

どこができるようになったのか?

どのくらいのスピードなのか?

この視点で、子どもを見ます。

 

自動的に、自然に、

子どもの変化から、

できるようになった部分だけを探し出します。

 

「分かっている」と仮定したことで、

子どもの育ちを、

プラスに見る利点があります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -088)、(+-  {\normalsize {α}} -069)、(×÷  {\normalsize {α}} -033)