算数の計算の仕方を教えるとき、
子どもの力を仮定します。
「どのようなことができるのか?」を仮定します。
そして、
この力を利用して、
計算の仕方を教えます。
例えば、
6+3=9、2+1=3 と
計算する力を持っていると仮定して、
の計算の仕方を教えます。
ですが、
「どのようなことができるのか?」は、
見えない力ですから、
「これはできるだろう」と推測します。
つまり、
利用したい子どもの力は、
「この力はあるだろう」の仮定です。
例えば、
3×4=12 や、3×2=6の
九九はできると仮定して、
の計算の仕方を教えるときです。
繰り上がりのたし算 6+1=7 で、
子どもがとても戸惑うと、
たし算の力がなくなったようにみえます。
6+1=7 と計算するたし算の力は、
なくなったようにみえるだけで、
あると仮定して教えるとうまくいきます。
さて、
ほとんど使われることがありませんが、
とても大胆な仮定があります。
これから教えようとしている計算の仕方を、
「分かっている」としてしまう仮定です。
とてもおかしなことです。
「計算できない」から教えるのです。
「分かっている」と仮定してしまったら、
教える必要のないことを
教えるように感じます。
実は、
大きな利点があります。
初めての の計算の仕方を、
「分かっている」と仮定します。
計算の仕方を教えません。
その先の
計算するスピードを教えることができます。
計算の仕方を、「分かっている」と仮定したから、
こちらの計算を見せて、
計算のスピードを教えることができます。
計算のスピードは、
どのくらい速くなってきたのかを見ますから、
子どもの見方がプラスです。
さらに、
子どものできるようになった部分だけを、
自然に見るようになるという
利点があります。
は、
いくつかの計算の組み合わせです。
① 6と3を上から下に見ます。
② 6+3=9 と計算します。
③ 3の真下に、 書きます。
④ 2と1を上から下に見ます。
⑤ 2+1=3 と計算します。
⑥ 1の真下に、 書きます。
どこができるようになったのか?
どのくらいのスピードなのか?
この視点で、子どもを見ます。
自動的に、自然に、
子どもの変化から、
できるようになった部分だけを探し出します。
「分かっている」と仮定したことで、
子どもの育ちを、
プラスに見る利点があります。
(基本 -088)、(+-
-069)、(×÷
-033)