算数の宿題をしている子を見て、
親が、「困った」と感じることがあります。
「このままではいけない」、
「手伝って解決しよう」と
親に感じさせる「困った」です。
その代表が、
切れたままの集中です。
宿題は、
や、
のひき算を50問計算です。
子どもの集中は切れたままです。
計算をしていません。
見ている親には、
手伝って解決すべき「困った」です。
ここまではなるほどなのですが、
手伝い方が、「?」です。
集中が切れたままの「困った」の解決は、
計算し始めることです。
でも、
「計算していないよ」や、
「鉛筆が止まっている」のように、
計算していないことを指摘することが、
多くの親の手伝い方になります。
親に見えているのは、
「計算していないこと」です。
集中が切れたままの子どもが見えます。
「計算している」子は、どこにも見えません。
だから、
見えていない「計算している」状態へ、
子どもを導く手伝いよりも、
見えている「計算していない」子を
手伝ってしまいます。
このように冷静に考えると、
計算していないことを指摘する手伝い方が、
やはり、「?」であって、
間違っているように感じるはずです。
親がすべき手伝いは、
子ども自身にも見えていない
「計算している自分」を見せることです。
忙しい親には、うれしい、
シンプルでワンパターンの手伝い方があります。
しかも、短時間です。
親自身が計算してしまい、
計算している姿を見せてしまうことです。
止まっている問題 の4を示して、
「し引くさん、いち(4-3=1)」、
「いち(1)」、
6を示して、
「ろく引くに、し(6-2=4)」、
「し(4)」と、
親の計算を実況中継して見せます。
さてと、
実はさらに、
見えていないことがあります。
集中が切れて計算していない子どもは、
自分をリードする内面のリーダーに、
計算以外の何かに気持ちを向けるように
リードされています。
子ども自身、
このような内面のリーダーを
少しも意識していませんが、
自分が自分をリードしています。
集中が切れている子を見ている親も、
普段あまり意識しませんが、
内面のリーダーにリードされて、
手伝って解決すべきことだと決めて、
計算していないことを指摘します。
この内面のリーダーの
親自身のリードの仕方が、
親の計算を実況中継して見せると
少し変われば、
子どもに、親の計算を見せるようになります。
このようなことまで意識して、
の8を示して、
「はち引くく、できない」、
「じゅうはち引くく、く(18-9=9)」、
「く(9)」、
3を示して、
「いち減って、に(2)」、
「に引くいち、いち(2-1=1)」、
「いち(1)」と、
親自身をリードしている
内面のリーダーを意識して、
計算の実況中継を見せます。
子どもは、
子ども時代特有の鋭い感覚を持っていますから、
自分をリードするリーダーを意識して、
親が計算していることを
何となくですが感じます。
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