見えている「困った」の解決を手伝うのではなくて、見えていない本当の問題を手伝います。

算数の宿題をしている子を見て、

親が、「困った」と感じることがあります。

 

「このままではいけない」、

「手伝って解決しよう」と

親に感じさせる「困った」です。

 

その代表が、

切れたままの集中です。

 

宿題は、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 64 \\ - 23 \\ \hline \end{array} }} \\ や、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 38 \\ - 19 \\ \hline \end{array} }} \\ のひき算を50問計算です。

 

子どもの集中は切れたままです。

計算をしていません。

 

見ている親には、

手伝って解決すべき「困った」です。

 

ここまではなるほどなのですが、

手伝い方が、「?」です。

 

集中が切れたままの「困った」の解決は、

計算し始めることです。

 

でも、

「計算していないよ」や、

「鉛筆が止まっている」のように、

計算していないことを指摘することが、

多くの親の手伝い方になります。

 

親に見えているのは、

「計算していないこと」です。

 

集中が切れたままの子どもが見えます。

「計算している」子は、どこにも見えません。

 

だから、

見えていない「計算している」状態へ、

子どもを導く手伝いよりも、

見えている「計算していない」子を

手伝ってしまいます。

 

このように冷静に考えると、

計算していないことを指摘する手伝い方が、

やはり、「?」であって、

間違っているように感じるはずです。

 

親がすべき手伝いは、

子ども自身にも見えていない

「計算している自分」を見せることです。

 

忙しい親には、うれしい、

シンプルでワンパターンの手伝い方があります。

しかも、短時間です。

 

親自身が計算してしまい、

計算している姿を見せてしまうことです。

 

止まっている問題 { \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 64 \\ - 23 \\ \hline \end{array} }} \\ の4を示して、

「し引くさん、いち(4-3=1)」、

「いち(1)」、

6を示して、

「ろく引くに、し(6-2=4)」、

「し(4)」と、

親の計算を実況中継して見せます。

 

さてと、

実はさらに、

見えていないことがあります。

 

集中が切れて計算していない子どもは、

自分をリードする内面のリーダーに、

計算以外の何かに気持ちを向けるように

リードされています。

 

子ども自身、

このような内面のリーダーを

少しも意識していませんが、

自分が自分をリードしています。

 

集中が切れている子を見ている親も、

普段あまり意識しませんが、

内面のリーダーにリードされて、

手伝って解決すべきことだと決めて、

計算していないことを指摘します。

 

この内面のリーダーの

親自身のリードの仕方が、

親の計算を実況中継して見せると

少し変われば、

子どもに、親の計算を見せるようになります。

 

このようなことまで意識して、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 38 \\ - 19 \\ \hline \end{array} }} \\ の8を示して、

「はち引くく、できない」、

「じゅうはち引くく、く(18-9=9)」、

「く(9)」、

3を示して、

「いち減って、に(2)」、

「に引くいち、いち(2-1=1)」、

「いち(1)」と、

親自身をリードしている

内面のリーダーを意識して、

計算の実況中継を見せます。

 

子どもは、

子ども時代特有の鋭い感覚を持っていますから、

自分をリードするリーダーを意識して、

親が計算していることを

何となくですが感じます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -096)、(+-  {\normalsize {α}} -074)