できると感じた自分の感覚を信じて計算します。間違っていても、それが糧となって感覚が育ちます。

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:100 \\ - \: \:\:\:\:\:\:2 \\ \hline \end{array} }} \\ の計算の仕方を教える前に、

子どもが計算してしまいます。

 

こちらが計算して見せる教え方をしようとしたら、

計算しています。

 

子どもは、

できると感じたようです。

 

唐突ですが、

これからの時代に必要とされる感覚です。

「何となく、こうすればよさそう」の感覚です。

 

「そう」感じる感覚です。

 

感じるだけの感覚ですから、

正しいこともありますが、

間違えていることもあります。

 

でも、

「できそう」と感じただけでは、

計算していませんから、

正しい感覚なのか、

間違えた感覚なのか分かりません。

 

計算すれば、

正しいのか、

間違えているのかが分かります。

 

この子は、

「できそう」と感じただけではなくて、

自分の感覚を信じて計算しています。

 

自分の感覚を信じることは、

できそうでできません。

 

間違えているかもの

漠然とした恐れがあるからです。

 

自分の感覚を信じて計算することは、

できそうで、できないことをしたのです。

とてもいいことです。

 

ですが、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:100 \\ -\: \:\:\:\:\:\:2\\ \hline 198\end{array} }} \\ と計算しています。

間違えています。

 

計算したから、

間違えた感覚と分かります。

 

さて、

「こうだろう」と感じたのは、

子どもの内面の計算の指示役(リーダー)です。

 

指示役のリードに従い、

実行役が計算します。

 

問題の答えが間違えているのではなくて、

計算の仕方の間違いです。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:100 \\ -\: \:\:\:\:\:\:2\\ \hline 198\end{array} }} \\ の計算を正すことで、

計算の指示役(リーダー)に、

計算の仕方を教えます。

 

一の位の0と、その真下の2を示して、

「0-2、できない」、

「1借りる」、

「10-2=8」、

「この8、合っている」です。

 

次に、

十の位の0を示して、

「1減って、9」、

「この9、合っている」です。

 

最後に、

百の位の1を示して、

「使ったから、ない」、

「この1、消して」です。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:100 \\ -\: \:\:\:\:\:\:2\\ \hline \:\:98\end{array} }} \\ と直ります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -148)、(+-  {\normalsize {α}} -095)