答えを出すだけの教え方をされると、反抗しているようなひねくれた態度の学び方を続けることができません。まねして計算するしかないのです。

目の前の小4の子は、

6+5= のようなたし算の答え11が浮かびません。

指で数えなければ、答えを出せません。

 

九九も言えません。

 

でも、

教えようとすると、

ひねくれた態度を取ります。

反抗しているように感じます。

 

「できないから、教えようとしている」、

「素直に学べばいいのに・・・」と、

この子が悪いと思います。

 

さて、

普通の教え方は、

「入れる学び」の「入れ方」指導です。

 

言葉で説明して、

理解させようとする教え方です。

 

こちらが、

計算の仕方を言葉で説明します。

 

子どもが受け取って、

取り入れます。

そして、「分かった」となります。

 

このままでは困るだろうと心配して、

何とか理解してもらえるように、

計算の仕方を丁寧に説明しているのに、

反抗しているように見えるひねくれた態度を取られると、

心穏やかに話すことが難しくなります。

 

こうなってしまう原因は、

計算の仕方という情報の向きが問題なのです。

 

子どもに入れようとする情報の向きです。

 

実は、

真逆の向き、

子どもから出そうとする情報の向きがあります。

 

それが、

「出す学び」の「出し方」リードです。

 

こちらが、

「出す学び」の「出し方」リードで教えようとすると、

この子は、習慣としてひねくれた態度を取りますが、

「何かが違う」と、すぐに気付きます。

 

こちらの教え方は、

計算の仕方を出させる向きです。

 

6+5= の6を示して、

「ろく」と声に出して読み(出しています)、

5を示して、指を折りながら、

「しち、はち、く、じゅう、じゅういち」と数えて(出しています)、

=の右を示して、

「ここ、じゅういち(11)」と(出すことを誘う)、

こちらが言うだけの教え方です。

 

この子に、

何かを入れようとしていないのです。

 

この子と同じやり方で、

指で数えて計算しているだけなのです。

 

習慣としてのひねくれた態度で、

こちらが出すのを見ていても、

6+5=11 と書いてしまいます。

 

自分と同じやり方で計算されたら、

この子は、

自分が計算しているように感じます。

 

こちらの計算は、

この子のスピードよりも、

少し速いスピードで計算しています。

 

(基本  {\normalsize {α}} -163)、(+-  {\normalsize {α}} -106)