教えようとしても、
教えられない計算があります。
教えようとするこちらが期待する理解と、
ほぼ同じように、
子どもに理解してほしいと思うものの
そうできない計算です。
いくつかの例で説明します。
8+4= を見るだけで、
答え 12 を心に浮かべる感覚があります。
このような感覚も、
たし算 8+4= の答え 12 を出しますから、
計算ですが、
教えることができないようです。
教えることができるのならば、
子どもに教えたいのです。
問題 8+4= を見たら、
答え 12 が心に浮かぶのですから、
とても便利な感覚です。
でも、
教えることができないようです。
別の例です。
12-8= の計算の仕方を、
「 8 に何かを足して、12 にする何か?」とします。
子どもは、
アレコレと試行錯誤して、
8 に、4 を足せば、12 になると気付きます。
このときの 8+4=12 が、
たし算 8+4= と
同じ計算であることを、
実は、教えることができません。
言葉で説明して教えても、
子どもは、
こちらが理解している「同じ計算」と
似たような理解をできません。
繰り返し、ひき算を計算していると、
「同じ計算だ!」と、
子どもは気が付きます。
「たし算を使うのだ!」のような理解です。
さらに、別の例です。
の計算は、
普通、最初に一の位の を計算します。
この縦に並んだ が、
横に並んだ 8+4= と
同じ計算であることを、
教えることができません。
「前に習ったたし算の、
横に並んで書いてある 8+4= と、
同じたし算だよ」のように説明しても、
子どもは、理解できません。
繰り返し計算することで、
「同じ計算だ!」と気付くような理解の仕方です。
さらに、別の例です。
の計算は、
8×5=40、
8×1=8、
8+4=12 と計算します。
繰り上がりの計算 8+4= が、
暗算のたし算 8+4= と
同じ計算であることを、
やはり、教えることができません。
だから子どもは、
繰り上がりのたし算 8+4= で
戸惑って、
モタモタとします。
教えられるのでしたら、
教えたいのですが、
教えられないことも多いのです。
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