子どもは常に、少し先の「近未来」を見ています。こちらも想像すれば、心に「近未来」の子を見ることができます。

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 52 \\ - 38 \\ \hline \end{array} }} \\ や、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 64 \\ - 23 \\ \hline \end{array} }} \\ の筆算のひき算で、

集中が切れて、ボ~ッとしています。

 

この子を手伝って、

計算に戻します。

 

手伝うとき、

こちらと大きく違う

子どもの時間の見方を意識して、

子どもと同じような時間の見方をします。

 

子どもは、

「今現在」ではなくて、

常に、少し先の「近未来」を見ています。

 

だから、

子どもの集中が切れて、

ボ~ッとしていて、

計算していないことを指摘しません。

 

「どうしたの?」、

「計算していないよ」、

「できるでしょ・・」のような指摘です。

 

ボ~ッとして、

計算していないのは、

「今現在」です。

 

子どもは、

この「今現在」のボ~ッとしている自分を見ていません。

 

子どもが見ているのは、

少し先の「近未来」で、

計算に戻った自分です。

 

こちらは普通、

目の前のボ~ッとしている子を見ています。

 

計算に戻った「近未来」の子を、

こちらは、

「今現在」に見ないのが普通です。

 

でも、

子どもの計算を手伝うのですから、

子どもの時間の見方に合わせて、

いきなり、

計算だけをリードします。

 

つまり、

「今現在」見えている

ボ~ッとしている目の前の子にではなくて、

「今現在」見えてはいない

計算に戻った「近未来」の子に手伝います。

 

いきなり、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 52 \\ - 38 \\ \hline \end{array} }} \\ の 2 と 8 を示しながら、

「12-8、4」です。

 

すると子どもは、

すぐに、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:52 \\ -\: 38\\ \hline \:\:\:\:4\end{array} }} \\ と書きます。

 

こちらは、

リードを続けます。

 

5 を示して、

「1 減って、4」、

「4-3、1」です。

 

自分でも計算している子は、

すぐに、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:52 \\ -\: 38\\ \hline \:14\end{array} }} \\ と書きます。

 

こちらが、

計算している「近未来」の子だけを見て、

ボ~ッとしている目の前の「今現在」の子を、

少しも見ていなければ、

この 1 問で、

子どもは計算している「近未来」の自分に重なります。

 

そして、

次の問題 { \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 64 \\ - 23 \\ \hline \end{array} }} \\ を計算し始めます。

 

さて、

とても難しいことです。

が、

ボ~ッとしている目の前の子を見ません。

 

少し先の「近未来」の計算している子は、

目の前の子を見ても、

どこにも見えませんが、

心の中に想像すれば見ることができます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -321)、(+-  {\normalsize {α}} -206)