のような筆算のかけ算を
モタモタと計算しています。
「もう少し速く計算できるはず」ですから、
速いスピードの計算を教えます。
この子は、
計算の仕方を知っています。
6×7=42 と、
6×3=18 の2回の九九と、
18+4=22 の繰り上がりのたし算です。
それぞれの計算自体も、
楽に速くできます。
九九は、
1 つの段を、6 秒で言える速さです。
6×7= や、6×3= は、
「ろくしちしじゅうに」や、
「ろくさんじゅうはち」と心で唱える前に、
答え 42 や、18 が浮かびます。
7+8= のようなたし算は、
見ただけで、
答え 15 が浮かびます。
ですから、
の計算の繰り上がりのたし算、
18+4=22 も、
楽に計算できるはずです。
それなのに、
目の前の子は、
実にモタモタと計算しています。
この子を見るとき、
「使える力は何?」、
あるいは、
「何ができない?」のどちらかを
無意識に考えています。
「使える力は何?」とすれば、
ポジティブに子どもを見て、
① 計算の仕方を知っている、
② 九九の答えは浮かぶ。
③ たし算の指は取れている、
と、このようなことを思い付きます。
「何ができない?」とすれば、
ネガティブに子どもを見て、
繰り上がりのたし算の答えを出せないらしいと、
思い付きます。
少し言葉は違いますが、
「残せた力は何?」、
あるいは、
「後退して消えた力は何?」のどちらかを
無意識に考えることもあります。
子どもを
ポジティブに見るのか、
それとも、
ネガティブに見るのかの違いです。
ポジティブな部分があるから、
ポジティブに見るのではありません。
ポジティブに見ると先に決めているから、
ポジティブな部分が見えます。
そして、
子どもを見る見方が、
見た後の教え方を決めています。
使える力を、
あるいは、残せた力を、
① 計算の仕方を知っている、
② 九九の答えは浮かぶ。
③ たし算の指は取れている、
のように見ていれば、
これらの力を使って、
モタモタとしている計算を、
スラスラとした計算に育てようとします。
良いところを伸ばそうとする教え方です。
このブログは、
子どもをポジティブに見て、
ポジティブに教える教え方を
紹介していますから、
ネガティブに見る教え方を扱いません。
でも、
できないことを、
あるいは、後退して消えた力を、
繰り上がりのたし算の答えを出せないらしいと、
ネガティブに見て、
ネガティブに教えることが多いのは事実です。
「忘れたの・・」とか言ってしまう教え方です。
算数の計算 には、
ポジティブも、
ネガティブもないのです。
ただの計算です。
を計算している子の見方が、
ポジティブとネガティブに分かれて、
教え方も、
ポジティブとネガティブになります。
計算している子を、
どのように見るのかの見方と、
そのように見た子に、
どのように教えるのかが、
ポジティブとネガティブに分かれるだけです。
さて、
良いところを伸ばそうとする教え方の
一例をここに書きます。
の 6 と 7 を順に示しながら、
「6×7=42」、
6 の真下を示して、
「2」、
「指、4」です。
このようにリードされた子は、
と書いて、
指を 4 本伸ばします。
続いて、
の 6 と 3 を順に示しながら、
「6×3=18」、
子どもが伸ばしている指 4 を、
順につつきながら、
「19、20、21、22」、
3 の真下を示して、
「22」です。
リードを見て、聞いていた子は、
と書いて、
18+4= のたし算を、
「数えればいいのだ」と理解します。
18+4= の答え 22 を、
パッと出す力を使えないこの子も、
「19、20、21、22」と数える計算でしたら、
速いスピードでできます。
(基本 -324)、(×÷ -078)