5+3= の計算の仕方は、
言葉で説明して理解させることもできれば、
こちらの計算の実況中継を見せることもできます。
5+3= の + を示してから、
「このたし算の記号の左を読みます」、
「読むと、ご、です」、
「そして、右の数だけ、数えます」、
「さん、ですから、3 回数えます」、
「ろく、しち、はち、です」、
「最後の、はちが、たし算の答えです」のように、
言葉で説明して教えることができます。
5+3= の 5 を示して、
「ご」と声に出して読み、
3 を示して、
「ろく、しち、はち」と声に出して数え、
= の右を示して、
「はち(8)」と言うような
こちらの計算の実況中継を見せて、
教えることもできます。
言葉で「教示」しても、
実況中継を見せる「手伝い」でも、
5+3= のようなたし算の
計算の仕方を子どもに、
つかませることができます。
子どもに、
教えることができる内容だからです。
実は、
算数や数学の計算には、
教えることができないこともあります。
その代表が、
「感覚」です。
7+8= を見たら、
答え 15 が心に浮かぶ感覚は、
たし算の感覚です。
15÷3= を見たら、
答え 5 が心に浮かぶ感覚は、
わり算の感覚です。
これらの感覚は、
「さん足すはちは?」と口頭で聴かれても、
その答え 11 を、
心に浮かべることができます。
同じように、
「にじゅうはち割るしちは?」と、
口頭で問われても、
その答え 4 を、
心に浮かべることができます。
このような「感覚」自体を、
教えることはできないようです。
「ご足すくは?」と聞かれたら、
すぐに、心に、
答え 14 が浮かぶような感覚を、
たし算の感覚といいます・・と、
子どもに説明することはできます。
5+9=14 の答えを出す感覚を、
すでに持っている子でしたら、
「なるほど」と理解できます。
5 を、「ご」と読み、
6、7、8、9、10、11、12、13、14 と、
指で数えて計算する子でしたら、
「どういうことですか?」となります。
「感覚」自体を教えることができないからです。
教えることができるのは、
「感覚」を使わない、
計算の仕方です。
5+3= の計算の仕方を、
言葉で説明しても、
こちらの計算を見せても、
教えることができますが、
答えを浮かべる「感覚」を使わない計算です。
そして、
面白いことに、
「感覚」を使わない
5+3= の計算の仕方は、
たし算の感覚を子どもがつかむための
練習の仕方になっています。
さて、
「感覚」を使わない
5+3= の計算の仕方の教え方は、
実況中継を見せる教え方が、
いくつかの点で、有利です。
たし算の感覚そのもの自体は、
教えようがないのです。
これは確かです。
そして、
「感覚」を使わないたし算を、
繰り返し練習することで、
たし算の感覚を、
子どもが自力でつかみ取るものです。
これも確かです。
そこで、
こちらの計算の実況中継を見せるだけで、
計算の仕方を説明しない教え方をすると、
計算の仕方から、
子どもがつかまなければなりません。
実況中継を見るだけで、
計算の仕方をつかむまでの子どもは、
頭の中にたくさんの「?」を持って、
こちらの実況中継を見ています。
たくさんの「?」が、
その子の理解の仕方の持ち味で、
すべて解決されたとき、
「そうか、分かった」と、
計算の仕方をつかみます。
「感覚」を使わないたし算の計算の仕方から、
こちらを頼らずに、
自分で見つけ出しています。
この「自分で何とかしようとする」姿勢が、
「感覚」を使わないたし算を、
繰り返し練習して、
たし算の感覚をつかむ子を支えます。
しかも、
たし算の計算の仕方をつかむプロセスで、
たくさんの「?」を、
自力で解決していますから、
「考える練習」もしています。
こうして、
言葉で教えることが難しい、
「考えること」自体を、
体験させることができます。
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