3+1=4 のたし算で、
2 つの数字(3 と 1)があるのが問題で、
1 つの数字(4)があるのが答えです。
たし算を計算する子どもは、
このようなことを少しも意識していませんが、
これはたし算の形です。
8-2=6 のひき算で、
2 つの数字(8 と 2)があるのが問題で、
1 つの数字(6)があるのが答えです。
これがひき算の形です。
「2 つの数字を問題とみて、
1 つの数字を答えとみる」形です。
5×9=45 のかけ算(九九)で、
2 つの数字(5 と 9)があるのが問題で、
1 つの数字(45)があるのが答えです。
これがかけ算(九九)の形です。
「2 つの数字を問題とみて、
1 つの数字を答えとみる」形です。
56÷8=7 のわり算で、
2 つの数字(56 と 8)があるのが問題で、
1 つの数字(7)があるのが答えです。
これがわり算の形です。
「2 つの数字を問題とみて、
1 つの数字を答えとみる」形です。
このように、
たし算も、
ひき算も、
かけ算も、
わり算も、
「2 つの数字を問題とみて、
1 つの数字を答えとみる」形ですから、
同じ形をしています。
子どもは、
これが計算の形だなどと、
少しも意識していませんが、
何回も計算をしていますから、
何となく、この形を感じています。
あるいは、
3+1=4 のたし算や、
8-2=6 のひき算や、
5×9=45 のかけ算(九九)や、
56÷8=7 のわり算を、
= の左が問題で、
= の右が答えのような形の見方もできます。
何となくのレベルですが、
「これ(問題)が、こう(答え)なる」と、
計算を捉えている子です。
もっとも、
15÷2=7・・・1 のわり算は、
例外です。
問題に、2 つの数(15 と 2)があり、
答えに、2 つの数(7 と 1)があります。
でも、
= の左が問題で、
= の右が答えのような見方でしたら、
15÷2=7・・・1 のわり算も、
同じ形です。
さて、
このような形を、
何となく感じている子が、
分数の仮分数を整数に変える計算に進みます。
計算の形を、
何となく感じている力を利用させます。
=3 を見本として、
見て、まねして、
= を計算させます。
=3 の計算の仕方を、
説明しません。
「これを見て、まねして」とだけ指示します。
そして、
「 = を計算して・・」です。
このように指示された(教えられた)子は、
=3 の計算の仕方を、
まねして計算するために、
自力で推測します。
このとき、
計算に何となく感じている形を、
これも何となくですが、
利用します。
そして、
ほとんどの子が、
=2 と正しく計算できます。
そこで、
子どもに聞きます。
「どうやったの?」です。
面白いことに、
2 つに分かれます。
比率は、半々です。
その 1 つが、
「10÷5=2」です。
言い方は、さまざまです。
例えば、
= の分子 10 と、分母 5 を示して、
「これを、これで割った」や、
ただ、「これとこれ」のような言い方です。
「10割る5」と、
計算と数字を言う子もいます。
見本 : =3 の = の左を問題と見ても、
2 つの数字(18 と 6)を問題と見ても、
何となく感じている計算の形を利用しています。
もう 1 つが、
「5×2=10」、
あるいは、
「2×5=10」です。
計算だけを探そうとする見方です。
計算の形を、
ほとんど感じていないような子です。
子どもが、
自分の計算 =2 を、
かけ算で説明したら、
わり算でもできることを伝えます。
「そうやったんだ・・」と肯定してから、
「10÷5?」と聞きます。
(基本 -371)、(+- -236)
(×÷ -087)、(分数 -132)