計算する子どもは、
計算することで学べることを学びます。
とても不思議に思われるでしょうが、
子どもが計算しなければ、
学べないことがあります。
計算することで、
初めて学べることです。
これが、
計算して答えを出す「出す学び」で、
子どもが学ぶことです。
子どもが自ら
計算して答えを出すことでしか学べないことを、
子どもは計算することで学びます。
例えば、
暗算のたし算です。
6+8=、4+6=、9+5=、7+5=、8+8=、
4+8=、6+5=、7+9=、8+5=、4+4=、
5+7=、8+7=、9+6=、4+7=、5+6=、
8+4=、7+7=、5+4=、8+6=、7+8=、
5+5=、7+6=、9+8=、7+4=、6+7=。
このようなたし算です。
初めのうちは、
指で数えて答えを出す計算です。
6+8= でしたら、
6 の次の 7 から、
+8 の 8回、
7、8、9、10、11、12、13、14 と数えて、
答え 14 を出す計算です。
この計算を、
子どもが自力でできるようになるには、
子どもが、
子ども自身をコントロールしなければなりません。
6+8= の 6 を見ることも、
6 の次の 7 を出すことも、
+8 の 8 を見ることも、
8 回数えると決めることも、
7、8、9、10、11、12、13、14 と数えることも、
子どもが、
自分をコントロールできれば、
自力で計算できます。
6+8= のようなたし算を、
指で数えて計算するように、
自分をコントロールすること自体は、
子どもが、見よう見まねで、
6+8= を計算することで、
初めて学ぶことができます。
だから、
たし算の答えを出す「出す学び」です。
たし算を計算して、
答えを出したから、
子どもは、
自分のコントロールの仕方を学びます。
でも、
どうにか自力で計算できるレベルです。
自分のコントロールの仕方が、
ギクシャクとしています。
それでも、
自力で計算できるのですから、
計算し続けます。
4+6= の 4 を見て、
その次の 5 から、
+6 の 6 回、
5、6、7、8、9、10 と数えて、
答え 10 を出します。
9+5= の 9 を見て、
その次の 10 から、
+5 の 5 回、
10、11、12、13、14 と数えて、
答え 14 を出します。
計算し続けることで、
数えるたし算をスラスラと
計算できるようになります。
自分のコントロールの仕方が、
半ば習慣のようにスムースになります。
計算し続ける「出す学び」で、
子どもが学び続けたからです。
このように、
たし算をスラスラと計算できるようになれば、
たし算の計算の仕方を修得できたのですから、
普通でしたら、
たし算の練習を終えます。
でも、
それでも、まだまだ、
たし算の練習を続けます。
数えて計算するたし算を、
練習し続けた先に、
まったく違う
たし算の計算の仕方を修得できるからです。
それが、
7+5= や、8+8= を見ただけで、
答 12 や、16 が出てしまう計算です。
これを計算というのかどうかですが、
7+5= や、8+8= を見たら、
答 12 や、16 が出るのですから、
やはり計算でしょう。
ある種の感覚なのでしょうが、
たし算の計算の仕方です。
たし算の問題を見たら答えが出る計算は、
計算し続けたから修得できています。
「出す学び」で学べた計算です。
同じようなことが、
わり算でも起こります。
18÷2=、21÷3=、25÷5=、24÷6=、
32÷8=、35÷7=、36÷4=、15÷3=、
14÷2=、28÷4=、72÷9=、30÷5=、
9÷3=、16÷4=、12÷3=、18÷6=、
21÷7=、20÷5=、24÷8=、27÷9=。
このようなわり算です。
初めのうちは、
九九を下から唱えて答えを出す計算です。
18÷2= でしたら、
18 を見たまま、
÷2 から、
2 の段を下から唱えて、
九九の答えが、18 になる
にくじゅうはち(2×9=18)から、
答え 9 を出す計算です。
この計算を、
子どもが自力でできるようになるには、
子どもが、
子ども自身をコントロールしなければなりません。
18÷2= の 18 を見続けることも、
÷2 を見ることも、
2 の段を下から唱えることも、
九九の答えが 18 になるまで唱えることも、
2×9=18 の 9 を答えとすることも、
子どもが、
自分をコントロールできれば、
自力で計算できます。
18÷2= のようなわり算を、
2 の段の九九を下から唱えて計算するように、
自分をコントロールすること自体は、
子どもが、見よう見まねで、
18÷2= を計算することで、
初めて学ぶことができます。
だから、
わり算の答えを出す「出す学び」です。
わり算を計算して、
答えを出したから、
子どもは、
自分のコントロールの仕方を学びます。
でも、
どうにか自力で計算できるレベルです。
自分のコントロールの仕方が、
ギクシャクとしています。
それでも、
自力で計算できるのですから、
計算し続けます。
21÷3= の 21 を見たまま、
÷3 の 3 の段を下から唱えて、
3×7=21 から、
答え 7 を出します。
25÷5= の 25 を見たまま、
÷5 の 5 の段を下から唱えて、
5×5=25 から、
答え 5 を出します。
計算し続けることで、
九九を下から唱えるわり算をスラスラと
計算できるようになります。
自分のコントロールの仕方が、
半ば習慣のようにスムースになります。
計算し続ける「出す学び」で、
子どもが学び続けたからです。
このように、
わり算をスラスラと計算できるようになれば、
わり算の計算の仕方を修得できたのですから、
普通でしたら、
わり算の練習を終えます。
でも、
それでも、まだまだ、
わり算の練習を続けます。
たし算の練習を、
ウンザリしていても続けたことと、
同じ理由です。
九九を下から唱えて計算するわり算を、
練習し続けた先に、
まったく違う
わり算の計算の仕方を修得できるからです。
それが、
36÷4= や、15÷3= を見ただけで、
答 9 や、5 が出てしまう計算です。
これを計算というのかどうかですが、
36÷4= や、15÷3= を見たら、
答 9 や、5 が出るのですから、
やはり計算でしょう。
ある種の感覚なのでしょうが、
わり算の計算の仕方です。
わり算の問題を見たら答えが出る計算は、
計算し続けたから修得できています。
「出す学び」で学べた計算です。
(基本 -419)、(+-
-261)、(×÷
-092)