たし算の計算から離れて、ボ~ッとして、何もしていません。子どもが、自分自身をリードして、していることです。

子どもは、

何かを出しています。

 

8+6= を数える計算で、

8 の次の 9 から、

+6 の 6 回、

9、10、11、12、13、14 と数えて、

答え 14 を出しているとき、

子どもは、

計算問題 8+6= の答え 14 を出しています。

 

8+6=、4+7=、9+5=、7+5=、8+8=、

4+8=、6+5=、7+9=、8+5=、4+4=、

・・・・・のようなたし算を計算しているとき、

集中を切らせて、ボ~ッとしていたら、

子どもは、

たし算の答えではなくて、

集中を切らせて、

ボ~ッとすることを出しています。

 

子どもが何を出していても、

必ず、

子どもの内面のリーダーが、

その何かを出すようにリードしています。

 

8+6= の答え 14 を出すために、

子どもの内面のリーダーが、

8 を見させて、

8 の次の 9 を出させて、

+6 の 6 を見させて、

9、10、11、12、13、14 と

6 回数えさせるようにリードしています。

 

だから子どもは、

8+6= の答え 14 を出すことができます。

自分をリードしているからです。

 

これは、

何かをして、

何かを出しているのですから、

「なるほど・・」と理解できます。

 

でも、

たし算を計算している途中で、

子どもの内面のリーダーが、

集中を切らせて、

ボ~ッとするようにリードしていると言われても、

「なるほど・・」となりにくいのです。

 

内面のリーダーがリードしていたら、

集中を切らせて、ボ~ッとすることは、

ないだろうと思うのが普通です。

 

これは、

何もしないようにして、

ボ~ッとすることを

出していると考えるのですから、

とても不自然さを感じます。

 

でも、

仮に、

内面のリーダーがリードしていないとしたら、

この子が集中を切らして、

ボ~ッとしていることが、

理解できなくなります。

 

この子の気を、

たし算の計算から引き離す何かが、

起こっているからとしても、

それは、

この子に起こった刺激であって、

だから、

この子が、

集中を切らせて、

ボ~ッとしているとはなりません。

 

気になる刺激が起こったとしても、

この子の内面のリーダーが、

4+7= の 4 を見るようにリードしていたら、

集中が切れて、

ボ~ッとすることなどできません。

 

4+7= の 4 を見るようにリードされたら、

この子は、

4 を見るからです。

ボ~ッとできません。

 

つまり、

気になる刺激が起こっても、

子どもの内面のリーダーが、

気になる刺激よりも、

たし算の計算を大事にできるように育てば、

この子の集中が切れて、

ボ~ッとすることは減ります。

 

実は、

計算をリードするリーダーは、

今よりも速いスピードで計算できるようになれば、

経験上の知恵ですが、

育つことが分かっています。

 

この経験上の知恵を利用して、

ボ~ッとして止まっている計算、

4+7= の 4 を示して、

「し」と声に出して読み、

7 を示して、

5、6、7、8、9、10、11 と

声に出して数えるリードを、

この子の計算のスピードよりも

速いスピードでしてしまいます。

 

まったくの突然に、

いきなりのように、

速いスピードの計算をリードされるのですから、

この子の内面のリーダーは、

とても強い刺激を受けて、

たし算の計算を大事にするように、

育ち始めます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -434)、(+-  {\normalsize {α}} -266)