人は、
その人の内面のリーダーに、
リードされています。
子どもには、
子どもの内面に、
その子をリードするリーダーがいます。
こちらにも、
こちらの内面に、
こちらをリードするリーダーがいます。
見えませんが。
こちらは、
こちらの内面のリーダーにリードされて、
子どもに、
初めてのたし算、
〇+1= を教えます。
こちらの内面のリーダーが選んだ教え方は、
子どもに、
こちらの計算の実況中継を見せる教え方です。
例えば、
以下のような実況中継です。
3+1= の 3 を示して、
「さん」と声に出して読み、
1 を示して、
「し」と、声に出して数え、
= の右を示して、
「し」と教えます。
3 を示すことで、
見ることを、
「さん」と声に出して読むことで、
読むことを、
1 を示して、「し」と、声に出して数えることで、
1 回数えることを、
= の右を示して、「し」と教えることで、
答え 4 を書く位置を、
教えています。
このようなことを、
こちらの内面のリーダーは、
実況中継を見せて、
子どもに教えようとしています。
この実況中継を見た子は、
子どもの内面のリーダーにリードされて、
こちらが出した答え 4 を、
3+1=4 と書きます。
もちろん、
実況中継ですから、
この一連のすべてを見せて、
5 秒以下の短時間です。
こちらの計算の実況中継を見せるだけですから、
こちらの計算です。
5 秒もかかりません。
つまり、
こちらの内面のリーダーは、
5 秒以下で計算してしまう
計算のスピードも見せると決めて、
そうしています。
特別に速いスピードではなくて、
むしろ、
やや遅いスピードの計算です。
見ている子どもは、
子どもの内面のリーダーにリードされて、
見るべきだと決めている部分を見ています。
子どもの内面のリーダーが、
「どこを見るのか」を、
先に決めているのではなくて、
「理解できる部分」や、
「自分も計算できる部分」を見ています。
「理解できる部分」や、
「計算できる部分」に、
親しみを感じますから、
これはとても自然なことです。
さて、
3+1= のたし算に進む前に、
この子の内面のリーダーは、
「1、2、3、4、5、・・」と、
順に唱えるリードをできるようになっています。
数字を読むことも、
書くことも、
リードできるようになっています。
ですから、
こちらの 3+1= の実況中継を、
すべて理解できます。
3 を見たら、
「さん」と読むことができます。
「さん、し」と、
順に唱えることができます。
3+1=4 と、
4 を書くことができます。
このように、
こちらの実況中継を、
すべて理解できます。
すべて、
自分でも計算することができそうです。
ですが、
こちらの実況中継を、
すべて理解できることと、
この子の内面のリーダーが、
この子を、
どのようにリードするのかは、
同じではありません。
ここが面白いところです。
理解できた通りにしません。
子どもは、
こちらに遠隔操縦されているのではなくて、
この子を動かすことができるのは、
この子の内面のリーダーだからです。
こちらの 〇+1= の実況中継を、
10 問くらい見ると、
ほとんどの子は、
計算の仕方をつかみます。
つまり、
子どもの内面のリーダーが、
自分をリードできるようになります。
多くの子に実況中継を見せた経験則ですが、
3+1= の 3 を見て、
「し」と数えて、
3+1=4 と書くようなリードになります。
かなり省略されていますが、
このようなリードの計算が、
この子の創作物であって、
この子の創造性です。
3 を見ていますが、
「さん」と読むことなく、
その次の数を、
「し」と数えています。
なお、
3+1= の 1 を
見ることはないようです。
だから、
7+1= の子どもの計算は、
7 を見て、
「はち」と数えて、
7+1=8 と書くような計算です。
子どもの独創性であって、
発想する力です。
こちらは、
子どもの内面のリーダーが、
7+1= の計算を、
このようにリードしていると知っています。
ですから、
3+2= の実況中継を見せるとき、
2 の上の余白を、
ペン先でトントンと 2 回、
音を出すように叩いて、
「し、ご」と、
2 回数えるようにします。
3+3= の実況中継でしたら、
+3 の 3 の上の余白を、
ペン先でトントントンと 3 回、
音を出すように叩いて、
「し、ご、ろく」と、
3 回数えるようにします。
参考までにですが、
3+2= の 2 の上の余白を、
トントンと 2 回叩くだけです。
「2 回です」や、
「2 回数える」のように、
言葉で説明しません。
子どもの独創性を刺激できなくなります。
言葉の説明が、
子ども発想力を制限してしまいます。
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