算数や数学の計算力を育てているのとは、
少しだけ違います。
計算問題を解く子ども自身を、
育てています。
つまり、
計算問題を解く子どもを育てると、
育った子は、
その計算を解くことができるようになります。
計算の仕方を教えることと、
同じように感じるでしょうが、
微妙に違っています。
子どもを育てています。
育てるテーマの具体的な一つが、
主体性です。
初めて見る計算でも、
自力で工夫できそうだと思う主体性や、
自分が答えを出す主体性や、
できる部分を計算してしまう主体性です。
このような主体性を、
育てます。
既に持っている計算力を利用して、
アレコレと工夫して、
計算の答えを出してしまうという
責任を持った主体性です。
例えば、
のような
3けた×3けたのかけ算です。
この一部分の でしたら、
この子は、
計算できます。
3けた×2けたのかけ算を、
計算できる力を持っています。
また、
を初めて習ったとき、
掛ける数 21 の 2 を隠して、
のような
「3けた×1けた」にして、
この計算できる一部分を計算するような、
一部分だけを計算する学び方を、
この子は、
多くの体験を通して知っています。
一部分を隠すことで、
見慣れている計算に変えてしまう工夫の仕方を、
この子は体験を通して知っています。
だから、
の
掛ける数 321 の 3 を隠せば、
になって、
この一部分でしたら、
計算する力を、すでに持っていると、
自分をリードできるはずです。
そして、
この一部分を、
と、
計算できるはずです。
そうしたら、
次は、
の計算だろうと、
この子は、予想できるでしょう。
そして、
掛ける数 321 の 21 を無視して、
のように見ますから、
の答えを、
左に 2 つずらして書くのだろうと、
気付きます。
「このくらいのことは、できるだろう」と、
この子に期待して、
を計算するように促します。
すると、
「分からない」と、
強く主張して、
自分で計算しようとしません。
ただ、
「分からない」の言い方です。
「やりたくない」ではありませんから、
計算しようとする気持ちがあるようです。
この子は、
を計算する気になっていると、
ポジティブに理解します。
そして、
「分からないが、計算して答えを出したい」を、
そのまま受け入れてしまい、
こちらの計算の実況中継を見せます。
最初に、
の 321 の 1 と、
真上の 4 を示して、
「1×4=4」、
321 の 1 の真下を示して、
「4」です。
見て、聞いている子は、
「分かっている」ことですから、
と書きます。
この続きも、
この子の「分かっている」ことですから、
同じようにリードして、
まで計算をリードします。
この次は、
掛ける数 321 の 3 と、
314 の 4 を、
下から右斜め上に示して、
「3×4=12」、
子どもの答え 628 の 2 の真下を示して、
「2」、
「指、1」です。
子どもは、
と書いて、
指に、繰り上がり数 1 を取り、
左に 2 つずらした位置に答えを書くことを、
「思った通りだ」なのでしょう。
この続きも、
同じように計算をリードして、
と、
かけ算の計算を終えます。
この後は、
3 行のたし算です。
この子は、初めてです。
「ここ、線」のリードで、
と、線を引かせてから、
たし算をリードして、
と計算します。
このように、
「分からないが、計算して答えを出したい」に、
こちらの計算の実況中継を見せて、
計算の仕方を教えれば、
「自分でもできた計算だ!」と、
子どもは心で認めます。
これが、
この子の主体性を刺激して、
目には見えませんが、
主体性が、少し育ちます。
(基本 -480)、(×÷
-107)