初めての筆算のかけ算です。この子のできることだけを組み合わせて教えます。そうすると、「計算できる子」、「計算できる子」、「計算できる子」、・・・、本当に「計算できる子」です。

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\: 3 \\ \hline \end{array}  }}\\ や、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  78 \\ \:\times  \:\:\: 7 \\ \hline \end{array}  }}\\ のような筆算のかけ算です。

 

筆算のかけ算の計算が、

初めての子に、

計算の仕方を教えます。

 

すると、

計算できるようになります。

 

「どのような子に教えるのか」が違うと、

「教え方」が違うことを話したいために、

「そりゃあ、そうだろう」のような

ばかげたことから書き始めています。

 

 

さらに、

ばかげた話しを続けます。

 

計算の仕方を教え始めたとき、

子どもは、

計算の仕方を知りません。

 

計算できません。

 

教え終わったとき、

子どもは、

計算の仕方を知っています。

 

計算できます。

 

 

このようなことを前提に、

「どのような子に教えているのか」の違いが、

「教え方」の違いになることを考えます。

 

大事なことなのですが、

普段、

ほとんど考えられていないことです。

 

 

さて、

目の前の子どもに教えるとき、

特に意識していませんし、

仮定もしていないことですが、

「計算できない子」に、

教えていることがほとんどです。

 

つまり、

「誰に教えているのですか?」と聞かれれば、

「目の前の子です」と答えます。

 

「目の前の子は、どのような子ですか?」に、

「計算できない子です」となります。

 

 

ここで、

とても非常識なことを

提案します。

 

「計算できない子」ではなくて、

「計算できる子」に教えます。

 

普通ではありません。

 

「計算できない子」だから教えます。

これが普通です。

 

その上、

「計算できる子」に教える必要はなさそうです。

 

だから、

繰り返しになりますが、

目の前の子は、自力で、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\: 3 \\ \hline \end{array}  }}\\ を計算できません。

 

実際にはそうなのですが、

「計算できない子」ではなく、

「計算できる子」と仮定して教えます。

 

とても非常識な提案ですが、

こうするだけで、

目の前の子の

「できること」を探し始めます。

 

「計算できる子」なのです。

それでも、教えるのです。

 

だから、

自動的に、

「できること」を探し始めます。

 

 

もう少し具体的に話します。

 

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\: 3 \\ \hline \end{array}  }}\\ の 3 と、9 を示しながら、

「さんくにじゅうしち(3×9=27)」と、

声に出して言い、

3 の真下を示して、

「しち(7)」、

「指、に(2)」と教えます。

 

これだけの教え方が、

「できる子」への教え方です。

 

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\: 3 \\ \hline \end{array}  }}\\ の 3 を示せば、

見ている子どもは、

3 を見ることができます。

 

「計算できる子」に、

つまり、

この子ができるはずのことを、

教えているからです。

 

9 を示せば、

9 を見ることができます。

 

「計算できる子」に教えているからです。

 

そして、

「さんくにじゅうしち(3×9=27)」と、

声に出して、

九九を唱えれば、

九九を早口で唱える子ですから、

「計算できる子」に教えています。

 

続いて、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\: 3 \\ \hline \end{array}  }}\\ の 3 の真下を示せば、

見ることができます。

 

「しち(7)」と言えば、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\: 3 \\ \hline \:\:\:7\end{array}  }}\\ と書くことができます。

 

「指、に(2)」と教えれば、

子どもは、

指を 2 本伸ばすことができます。

 

「計算できる子」に教えています。

 

この子の「できること」を、

探して(推測)、

できることだけで計算しています。

 

 

比べるために、

「計算できない子」への教え方です。

 

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\: 3 \\ \hline \end{array}  }}\\ の 3 と、9 を示すだけではなくて、

「下から上」や、

「こことここを見て」のように、

言葉の説明を加えます。

 

「計算できない子」へ教えているからです。

 

また、

「さんくにじゅうしち(3×9=27)」と、

声に出して言うだけではなくて、

「九九を計算します」、

「3 の段です」のように、

言葉の説明を加えます。

 

「計算できない子」へ教えているからです。

 

さらに、

3 の真下を示して、

「ここに、答えを書きます」、

「さんくにじゅうしち(3×9=27)の 7 です」、

「2 は、繰り上がり数です」、

「覚えます」のように、

言葉の説明を加えます。

 

「計算できない子」へ教えているからです。

 

 

「計算できない子」への教え方と、

「計算できる子」への教え方は、

このように、かなり違います。

 

 

参考のために、

「計算できる子」への教え方の

「しち(7)」と言えば、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\: 3 \\ \hline \:\:\:7\end{array}  }}\\ と書きますの続きです。

 

3 と、2 を示して、

「さんにがろく(3×2=6)」、

子どもが指に取った 2 を触って、

「2 増えて、8」、

2 の真下を示して、

「8」です。

 

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\:\: 3 \\ \hline \:\:\:87\end{array}  }}\\ と子どもが書いて、

「計算できる子」に近づきます。

 

「計算できる子」に教える教え方をすれば、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  29 \\ \:\times  \:\:\: 3 \\ \hline \end{array}  }}\\ や、

 {\normalsize {  \begin{array}{rr}  78 \\ \:\times  \:\:\: 7 \\ \hline \end{array}  }}\\ を、

数問で、

計算できるようになります。

 

つまり、

「計算できる子」に教えることで、

「計算できる子」、

「計算できる子」、

・・・

本当に、「計算できる子」です。

 

(基本  {\normalsize {α}} -505)、(×÷  {\normalsize {α}} -110)