1=2
と、
3=3
の区別が、
曖昧なままの子です。
1= は、帯分数のような仮分数です。
仮分数 を、
帯分数 1 に変えて、
元の問題 1= の整数部分 1 と、
仮分数 を、帯分数 1
に変えた
整数部分 1 を足して、
1+1=2 と計算します。
3= は、
帯分数の約分です。
子ども自身が、
2 つの計算の区別が、
曖昧なままであることを
よく知っています。
つまり、
1= と、3
= の
次の計算を、
ハッキリと区別できないままであることを
知っています。
でも、
自分の育て方を知らないために、
曖昧なままです。
育て方を知っていれば、
1= と、3
= の計算を、
区別できるように、
自分を育ててしまいます。
曖昧なままにしておきません。
自分のことですから。
だから、
この子に、
1= と、3
= の計算を、
区別できるようになる
自分の育て方を、
計算の仕方と合わせて教えます。
計算の仕方だけではなく、
2 つの計算の違いを区別して、
正しくできるような自分になる
自分の育て方も教えます。
「自分の育て方」のような
微妙な言い方をしています。
自分が、
自分を育てます。
自分が、
自分に教えることでもあります。
1= と、3
= の計算を、
区別できるように、
自分が、
自分に教えるのです。
さて、
こちらが教えることを、
子どもが受け取るときの姿勢です。
大きく 2 つに分かれます。
1 つは、
自分が、
学ぼうとする姿勢です。
もう 1 つは、
自分が、
自分に教えるために
学ぼうとする姿勢です。
似ています。
同じように感じるでしょう。
ですが、
当の子どもには、
大きく違います。
こちらが教えることを、
学ぼうとする姿勢の子は、
計算の仕方を学んで終わります。
自分が、
自分に教えるために
学ぼうとする姿勢の子は、
学んで終わりではありません。
学んで、
1= と、3
= の計算を、
区別できるようになったら、
自分に教えなければならないのです。
とても真剣な・・というか、
深く集中してというか、
自分への教え方を考えながらというか、
学び方が違います。
1= の計算の仕方を、
10÷7=1・・・3 、
1+1=2 として、
2 と習います。
自分が、
学ぼうとする姿勢の子は、
計算の仕方を知ったら、
学び終わります。
自分に教えるために、
学ぼうとする姿勢の子は、
自分が計算できるようになるだけではなくて、
相手は自分ですが、
計算の仕方を伝えなければなりません。
学び方が違うのです。
自分に教えながら、
学んでいます。
学ぶ姿勢の違いや、
学び方の違いを、
理解する助けになることを願って、
補足します。
3= の計算の仕方を、
学ぶ姿勢の子の「出すこと」は、
答えです。
3= を、
4 で約分して、
その答え 3 が、
学ぶ姿勢の子の「出すこと」です。
自分に教えるために
学ぼうとする姿勢の子は、
3= の答え、3
だけが、
「出すこと」ではありません。
自分に教えている自分のことも、
この姿勢の子の「出すこと」になります。
さて、
その入り口だけですが、
自分に教えるために、
学ぼうとする姿勢の子を育てるのが、
「どうやったの?」であり、
「どうやるの?」です。
1=2
と、
計算した子に、
「どうやったの?」と聞きます。
こうすれば、
この子は、
自分がした計算を、
「どうやったの?」と聞いたこちらに、
説明して、
つまり、
教えてくれます。
この「どうやったの?」は、
子どもが、
計算した自分に聞くことができます。
あるいは、
3= を、
3 と、計算する前の子に、
「どうやるの?」と聞きます。
この「どうやるの?」も、
子どもが、
計算する前の自分に聞くことができます。
(基本 -519)、(分数
-218)