連立方程式を解く前の子に、「何を消すの?」のような疑問文をリードして、解き方を決めさせます。ひたすら繰り返すことで、「解くことができる」から、「解く前に解き方を先に決める」子に育てようとします。

{\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}x+4y-z=12\\2x+2y-4z=8\\4x-2y+3z=26\end{array}\right.\end{eqnarray}} を解く前の子に、

「何を消すの?」と聞きます。

 

この連立方程式を見た子が、

「 y を消す」と答えてくれます。

 

続いて、

「どのようにするの?」と聞きます。

 

すると、

「2 番目と 3 番目を足す」ことと、

「3 番目を 2 倍してから、

1 番目に足す」ことを、

答えてくれます。

 

このように解き方を決めた後で、

子どもに解かせます。

 

 

このような連立方程式を解く子は、

大多数が、

連立方程式に自信を持っています。

 

ですがまだ、

ハッキリと、

「私は、

この方程式を解くことができる」と、

先に決めてはいないようです。

 

「何を消すの?」と聞かれて、

「 y を消す」と答え、

「どのようにするの?」と聞かれて、

「2 番目と 3 番目を足す」ことと、

「3 番目を 2 倍してから、

1 番目に足す」と答える力があります。

 

だから、

方程式を解くことに、

自信を持っています。

 

まだ、

自信を持っているレベルのようです。

 

方程式を見てから、

どのように解くのかを決める前に、

「解くことができる」と、

既に決めているレベルではないようです。

 

 

少し先に進んで、

{\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}2x-3y-z=12\\3x+2y+z=-1\\-y+z=-4\end{array}\right.\end{eqnarray}} を解く前の子に、

「何を消すの?」と聞きます。

 

3 番目の方程式は、

未知数 x が欠けています。

 

連立方程式の形が、

少し変わっています。

 

そうであっても、

連立方程式を見た子が、

「 z を消す」と答えてくれます。

 

答えてくれたので、

「どのようにするの?」と聞きます。

 

すると、

「1 番目と 2 番目を足す」ことと、

「1 番目と 3 番目を足す」ことを、

答えてくれます。

 

このように解き方を決めた後で、

子どもに解かせます。

 

少し難しそうな連立方程式に進むことで、

子どもの気持ちが、

少し変わります。

 

連立方程式を解くことへの自身が、

更に強くなります。

 

それだけではなくて、

「解くことができる」と、

連立方程式を見る前に、

決めている子が、

数の子ですが、

出てきます。

 

「解くことができる」と、

先に決めていると、

感じさせる子です。

 

 

もっと

難しさを感じさせる連立方程式に進みます。

 

{\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}x=3(y-z)\\z=4(y-x)\\z+x=2y-5\end{array}\right.\end{eqnarray}} を解く前の子に、

「どうするの?」と聞きます。

 

この連立方程式に、

いきなり、

「何を消すの?」と聞くと、

不自然です。

 

だから、

「どうするの?」と聞きます。

 

すると子どもは、

「並べ替える」、

「 x、y 、z 、= 、数字」のような、

その子らしい言い方で答えてくれます。

 

並べ替えさせます。

 

すると、

{\begin{eqnarray}\left\{\begin{array}{1}3x-2y-z=3\\x+2y+z=1\\2x-y-2z=-1\end{array}\right.\end{eqnarray}} こうなります。

 

そうしたら今度は、

「何を消すの?」と聞きます。

 

・・・・・と、

解く前に、

どのように解くのかを決めさせるようにします。

 

連立方程式

それぞれの式を、

並べ替えるような難しさまで進むと、

かなりの子が、

「解くことができる」と、

既に決めているようになるようです。

 

でもこれは、

「解くことができる」と、

決めていると感じさせる・・のような

曖昧な判断です。

 

 

実は、

「私は、

この方程式を解くことができる」と、

先に決めている子に育てたいのです。

 

「解くことができる」と決めているから、

「何を消すの?」や、

「どのようにするの?」や、

「どうするの?」と考えることで、

解き方を決めることになります。

 

「解くことができない」のでしたら、

「解き方を探す」こと自体、

無駄なことになります。

 

だから、

「解くことができる」と、

先に決めている子に育てたいのですが、

困ったことに、

教えようがないのです。

 

確実ではありませんが、

このような子に育つ可能性があることは、

ひたすら、

解く前の子に、

「何を消すの?」や、

「どうするの?」と聞いて、

子どもに考えさせることなのです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -522)、(分数  {\normalsize {α}} -220)