算数が大嫌いな子です。
もう、
大嫌いになっています。
ですが、
それは今現在のことです。
これから先、
大嫌いなままであることも、
大好きに変わってしまうことも、
どちらでも選ぶことができます。
大嫌いも、
大好きも、
どちらでも選ぶことができる力が、
既に、大嫌いになっているこの子に、
秘められています。
既に、大嫌いになっていますが、
大好きになる力は、
潜在的な力として、残っています。
この子が意識できないだけです。
さて、
既に、大嫌いになっている子が、
自力で、
大好きに変わることは、
起こらないとはいえないでしょうが、
とても難しいことです。
それに、
この子自身、
大好きに変わりたいと、
少しも望んでいないでしょう。
このようなことを望むこと自体を、
諦めていますから、
大嫌いなままなのです。
大好きになる力を秘めていますが、
このような力が自分にあることを知らないので、
時として、
「算数が大好きであったら・・」と、
何となく思うことがあるとしても、
すぐに、
「無理だ!」と、
自分を信じていません。
このような子に、
算数を教えるチャンスを、
いつもではありませんが、
授かれることがあります。
つまり、
実話です。
架空の作り話ではありません。
そして、
このような時にすることは、
1 つのことだけです。
この子が、
楽にスラスラとできる計算を見つけて、
その計算を、
夢中になって取り組ませます。
これだけです。
例えば、
この子が、
3-×= や、
7-2÷= を習っているとします。
大嫌いな子です。
計算の順番を決めることができません。
分数のかけ算や、ひき算を、
計算できません。
分数のひき算を計算できません。
と、
今、習っている計算は、
こうなっています。
ですから、
3-×= や、
7-2÷= は、
楽にスラスラと計算できません。
正確に言えば、
まったく計算できません。
でも、
このような分数の四則計算よりも、
もっと以前に習っている筆算のかけ算、
のような計算は、
どうであるのかを、
少し(5~6 問)計算させてみて、
確かめます。
九九は、覚えています。
計算の仕方を覚えています。
繰り上がりのたし算もできます。
つまり、
答えを出すことはできます。
ですが、
楽にスラスラと計算できるレベルでは
ないようです。
そこで、
もっともっと以前に習っている暗算のたし算、
7+4=、8+6=、9+5= のような計算は、
どうであるのかを、
少し(10~20 問)計算させてみて、
確かめます。
すると、
ここであれば、
楽にスラスラと計算できるようです。
この子に、
7+4=、8+6=、9+5=、6+8=、2+9=、
7+8=、9+4=、7+6=、8+9=、7+7=、
・・・・・
このようなたし算を、
100 問計算させます。
算数が、
大嫌いな子です。
楽にスラスラと計算できるたし算ですが、
大嫌いな子だと感じさせるような
ダラダラとした計算の仕方です。
楽にスラスラと計算できるのに、
この子自身、
そうできると分かっているのに、
ダラダラと計算してしまいます。
ここを手伝います。
7+4=、8+6=、9+5=、6+8=、2+9=、
7+8=、9+4=、7+6=、8+9=、7+7=、
・・・・・の
7+4= の + を示してすぐに、
「じゅういち(11)」と、
早口で鋭い口調で言い、
= の右を示します。
こうすると、
子どもが、
こちらの鋭い口調と、
素早い動作に誘われるように、
7+4=11 と、
この子にしては素早く
書いてくれます。
子どもが書いたらすぐに、
次の 8+6= の + を示して、
鋭いけれども、優しい口調で、
「じゅうし(14)」と言い、
= の右を示して、
子どもを誘います。
子どもが、
素早さが増して、
8+6=14 と書くのを見たらすぐ、
次の 9+5= の + を示して、
鋭いけれども、優しい口調で、
「じゅうし(14)」と言い、
= の右を示して、
子どもを誘います。
・・・・・と、このように、
こちらの素早い動作で子どもを誘って、
算数が大嫌いな子の
ダラダラとしている計算を、
次々と夢中になっている計算に
入れ替えてしまいます。
こうして、
算数が大嫌いなままの子に、
算数が大好きな子の計算を、
今、
体験させます。
そしてこの子は、
夢中になって次々と計算する快感を、
体で思い出します。
(基本 -536)、(+- -306)
(×÷ -116)、(分数 -227)