= の約分を、
子どもから聞かれます。
教える前に、
この子の「今、できるはずのこと」を推測します。
= は、
割る数を見つけて、
わり算をすることと知っています。
このように理解している子が、
= の約分を聞いたのですから、
割る数を聞いているはずです。
つまり、
= の分子 52 と、
分母 65 を同じ数で割って、
簡単にすることと分かっている子が、
割る数(約数)を聞いていると理解します。
この子の期待は、
こちらから、
約数(割る数)を教えてもらうことです。
そして、
その約数で、
= を約分することです。
だから、
「13で」とだけ教えます。
自分が聞きたいことを聞けたのですから、
この子は、「分かった」となり、
13 で、= を約分します。
さて、
= を、13 で約分するのですから、
52÷13= と、
65÷13= を計算します。
2 けたの数 52 や、65 を、
2 けたの数 13 で割ります。
かなり難しいわり算です。
この子が、
わり算は、かけ算の逆であることと、
13 の 3 を、何倍かして、
52 の 2 が出るのは、
13 を、4 倍したときだけだと気付けば、
52÷13=4 と計算できます。
同じように、
13 の 3 を、何倍かして、
65 の 5 が出るのは、
13 を、5 倍したときだけだと気付けば、
65÷13=5 と計算できます。
これで、
= と計算できます。
「13で」と教えて、
「分かった」となったはずの子が、
= の分子 52 と、
分母 65 を、
13 で割るわり算を、
計算できないことがあります。
こうなると、
こちらは、
「もう一度、聞くだけだろう・・」と思うのですが、
もう一度、聞くことを、
できないのが普通です。
こちらが、
「聞くのは、1 回だけ」のように、
制限していないのですが、
もう一度、聞くことをしません。
そのまま、
ジッとしてしまいます。
はた目には、
石のように固まって見えます。
こうなっていることに気付いたらすぐに、
「上、4」のように、
52 を、13 で割った分子の答え 4 を、
ズバリ教えてしまいます。
もう一度、聞くことができなくて、
石のように固まっている子に、
52÷13= の計算の仕方を教えても、
子どもは、
聞くことができない悪い状態です。
それでも、
「上、4」のような答えでしたら、
悪い状態の子どもであっても、
聞くことができて、
= と書きます。
= のように、
分子の答え 4 を書くことで、
石のように固まっている悪い状態が、
少しでも和らげば、
約分を完成させたいと思っている子ですから、
65÷13= を、5 と計算できて、
= と完成させます。
でも、
こうならないで、
分母の答え 5 を自力で出せないようでしたら、
「下、5」と教えます。
これで、
= と約分できます。
さて、
= を聞いた子に、
「13で」と教えて、
「分かった」となって、
= とできる子もいます。
そうはならないで、
÷13 の難しさに、
もう一度、聞くこともできないまま、
石のように固まってしまう子もいます。
固まっている子に気付いたら、
「上、4」と、
分子の答えを教えれば、
= と書くことで、
分母の計算 65÷13=5 を、
自力でできて、
= と完成させる子がいます。
= と書いても、
÷13 に取り組む
勢いを持てないようであれば、
「下、5」と教えることで、
= と約分できる子もいます。
この子が、
どのような子であろうとも、
= と完成することで、
「13 で割れる約分であること」は、
この子に残ります。
= と書くことで、
子どもは必ず学ぶからです。
なお、
「どうして、13 って分かるの?」ではないのです。
「13 を思い付く」のです。
約数を思い付く感覚なのです。
このような
約数を思い付く感覚は、
一定の速いスピードで、
約分を計算し続けることで、
どの子も必ず、
つまり、例外なく持つことができます。
だから、
ここで紹介したようなリードで、
= の答えの出し方だけを教えます。
そして、
一定の時間で終わらせてしまいます。
(基本 -550)、(分数 -232)