計算問題の目的は、
答えを出すことです。
と、
このように、答えを出すことに、
子どもが焦点を絞ることができていれば、
計算することで、
学ぶべきことを学ぶことができます。
「答えを出すこと」、つまり、
「出すこと」に焦点がある子は、
集中が切れても、
じきに計算に戻ります。
例えば、
13-7=、14-5=、11-8=、16-9=、
このようなひき算で、
集中が切れて、
計算から離れると、
答えを出していません。
「出すこと」に焦点があると、
答えを出していないことを気にして、
子どもは自力で、
止まっている計算 14-5= に戻ります。
そして、
5 に何かを足して、
14 にするゲームに戻って、
5+9=14 から、
9 を見つけて、
14-5=9 と書きます。
答えを出すことに、
自力で戻ります。
あるいは、
約分 = の約数を思い付かない子が、
「何で割るの?」と聞きます。
「答えを出すこと」に焦点があるから、
答えを出したいのに、
約数を思い付かないために、
答えを出せないことを気にして、
答えを出すために、
「何で割るの?」と聞きます。
約数を聞いてでも、
答えを出したいからです。
さて、
どういう訳なのだから分かりませんが、
「入れること」に焦点があるのが、
普通です。
何かを先に教えてもらってから・・と、
意識はしていないままに、
なっている子が普通です。
先に教えてもらう・・、
つまり、
先に入れてから、
理解できたことを利用して、
答えを出そうとします。
「入れること」に焦点のある子が、
集中を切らせたら、
切れたなままです。
「どうしたの?」、
「途中でしょう?」のように、
外から何かが入ることで、
「あぁ、そうだった」と気付いて、
計算に戻ります。
先に、
「どうしたの?」のような言葉かけがあって、
このような言葉が入ったことで、
答えを出すことに戻る順です。
あるいは、
約分 = の約数を思い付かない子が、
「入れること」に焦点があると、
「分からない」と言います。
「教えて・・」ではなくて、
「分からない」です。
甘えの依存です。
「何で割るの?」のように、
自分が何を学びたいのかを、
ハッキリとさせることは、
「出すこと」です。
「入れること」に焦点のある子は、
教えてもらおうとしていますから、
「分からない」と言うだけです。
「入れること」と、
「出すこと」は、
このようになっています。
「入れること」に焦点のある子は、
学ぶことを、
誰かに依存しています。
甘えています。
一方で、
「出すこと」に焦点を移した子は、
主体性の率先力で答えを出そうとしています。
学ぶ姿勢が大きく違います。
(基本 -644)、(+- -356)、(分数 -269)