+==1 と計算できる子です。
正しい計算です。
合っています。
だから、
この子に聞きます。
=1 の を示して、
「これ、どうして、1 になる?」です。
この子の答えは、
「同じだから!」です。
聞いたこちらは、
瞬時のような短い時間に、
心の中で考えます。
「同じ」という計算は、
ありません。
計算の仕方を聞いているこちらの問に、
計算の仕方で答えてほしいので、
聞き方を変えます。
「5 と 5 を、どうすると 1?」です。
この子は、
「・・・・・」です。
無言です。
「はて、困った・・」、
「どうして、5 と 5 を、1 にしている?」、
「そんなこと考えてもいないよ・・」、
このような感じです。
こちらは、どうしても、
この子に計算に焦点を絞ってほしいので、
の上(分子)の 5 と、
下(分母)の 5 を、この順に示しながら、
「5÷5」を押し付けます。
= から、
5÷5= を計算すれば、
1 になります。
このようなリードのこちらの目的は、
この子の主体性の責任を育てることです。
この子が、
自力で計算するときの支えは、
= を、1 とする計算の仕方を、
正しく理解することです。
「自力で正しい答えを出す」との責任は、
主体性の一部分です。
このような
主体性の責任というような
目に見えない内面の力は、
育てることができるチャンスを逃さないで、
少しでも育ててしまうことです。
= を、
1 と計算するとき、
どのように計算するのかを、
この子にハッキリとさせることで、
「自力で正しい答えを出す」という
主体性の責任を育てることができます。
そのために、
まず、
「 = から、どのような計算をすれば、
答え 1 が出るのか?」と、
この子に聞きます。
「同じ」という答えは、
= の上(分子)と下(分母)が、
同じ数 5 であることを言っているだけです。
自力で、
= を計算するときの
主体性の責任が弱いのです。
ですから、
「5 と 5 を、どうすると 1?」と、
聞き方を変えて、
= の答え 1 を出すときの計算自体を、
この子に探させます。
これは、
この計算を正しく理解してほしいということよりも、
この子の主体性の責任を育てるためです。
この子は、
黙ってしまいます。
計算を探すことができないのです。
こちらはこの子に、
「5 と 5 を、どうすると 1?」と聞いています。
主体性の責任が強ければ、
5 と 5 に、
たし算・ひき算・かけ算・わり算を
順に計算してしまいます。
計算すれば、順に、
5+5=10、
5-5=0、
5×5=25、
5÷5=1 ですから、
5 を、5 で割れば、1 が出ると、
すぐに分かります。
実際には、
この子は無言ですから、
今のこの子の主体性の責任は、
ここまで強くはないのです。
そこで、
「5÷5」を押し付けてしまいます。
押し付けられたこの子は、
「えっ、何?」、
「なるほど、割れば 1 が出る」、
このような感じです。
そして、
主体性の責任が少し育ち、
自力で計算するのですから、
計算自体を気にするようになり始めます。
(基本 -661)、(分数 -276)