依存の甘えが強く残る子に、
主体性の自己責任を育てます。
= や、
= を、
かけ算から計算してしまう子です。
= を、
左のわり算を先、
右のかけ算を後とすれば、
= の分数に書き換えることができて、
と計算できます。
= の計算の順番を無視して、
この子の計算し易いかけ算から、
= と計算してから、
= と間違えます。
答えは間違えていますが、
= の ÷ の右の を、
= のように分母に書けるのですから、
計算自体は正しくできています。
計算の順番を間違えているだけです。
しかも、
前回のとき、
同じ間違えをした子です。
依存の甘えが強くて、
主体性の自己責任が弱いから、
同じ間違いをしてしまいます。
= の
計算の順番を間違えたのですから、
主体性の自己責任が少し育っていれば、
1回のミスで覚えるはずです。
以下の実例のように、
この子に教えます。
「÷ は、下って、この前、教えた!」と、
この子に、
突き放すように言います。
すると、
すぐに、
「あっ!」と、気付きます。
言われたから、
教えられたから気付くことができても、
依存の甘えですから、
この子の主体性の自己責任を育てないと、
学びが限られます。
ですが、
この子自身、
依存も主体性も見えませんから、
自分が、
依存の甘えになっていると、
まったく気が付いていません。
「÷ は、下って、この前、教えた!」と、
突き放すことで、
「あっ!」となり、
ボンヤリとですが、
自分の甘えを感じるようです。
これだけで、
この子は、
=== を消して、
== のように
解き直します。
そして同時に、
依存の甘えが少し弱くなり、
主体性の自己責任が少し育ちます。
(基本 -668)、(分数 -279)