「あなたができてもできなくても、
どうでもいいのだけれどね・・」と、
こちらが心の中で思います。
普通は、
ネガティブな気持ちです。
約数を思い付くような教えようがないことに、
非常識なことですが、
最上のポジティブな気持ちで、
「あなたができてもできなくても、
どうでもいいのだけれどね・・」です。
こうすることができます。
例えば、
= の約分で、
「何で割るのですか?」と聞いた子に、
最上のポジティブな気持ちで、
つまり、心の中で、
「よく聞きに来てくれた・・」と、
歓迎する気持ちで、
「約数を思い付いても、
思い付かなくても、
どうでもいいのだけれどね・・」です。
心の中で思うだけですから、
声に出して言いません。
約数を思い付くこと自体、
どう頑張って教えようとしても、
教えようがないからです。
さて、
最上のポジティブな気持ちで、
「約数を思い付いても、
思い付かなくても、
どうでもいいのだけれどね・・」と思って、
= の約数を、
「13」とだけ教えます。
「13 を思い付くこと自体」を、
教えようがないので、
教えていません。
より正確には、
「思い付かない子」にではなくて、
「13 を思い付く子」に、
「13」と教えますから、
思い付く子に育ちます。
さらに、
「えっ、また?」、
「もう何回も教えているのに・・」のように、
ネガティブな気持ちになることを、
防ぐことができます。
思い付くかどうかは、
感覚です。
何らかの方法を使って、
約数 13 を出せたとしても、
「思い付く」ではありません。
13 を思い付く感覚を持つために、
= を計算しただけの話なのです。
「約数 13 を思い付こうが、
思い付くまいが、
どうでもいいのだけれどね・・」と心で思って、
約数を思い付く感覚まで教えられないことを、
こちらはハッキリと自覚します。
そして、
「13」と、
約数だけを教えます。
こうすると、
子どもはすぐ、
13 で割ることができて、
= と答えを書きます。
短時間で、
約数 13 と、
= を、13 で割ったことを、
組にして残します。
このような組が、
約数 13 を思い付く、
元になります。
(基本 -724)、(分数 -313)