の答えを、
自力で出すために、
子どもは次のようなことを、
順にします。
① 2つの 5 だけを見ます。
8 や、1 を見ません。
② 5+5=10 と足します。
③ と書きます。
④ 1 を、
次の計算の答えに足すために、
その時まで、覚えておきます。
⑤ の 8 と 1 だけを見ます。
他の数が、見えていますが、
焦点を合わせて見るのは、
8 と 1 だけです。
⑥ 8+1=9 と足します。
⑦ 足すために覚えている 1 を、
思い出します。
⑧ 9+1=10 と足します。
⑨ と書きます。
⑩ この ①~⑨ を、
この順番で行うように、
自分が自分をリードします。
問題 の答えを出すために、
子どもが順にすることを、
改めて見返せば、
実に、「おおごと」です。
この一連のことを、
この順に行うことができるから、
子どもは自力で答えを出すことができます。
答えを出すことだけでも、
子どもの潜在能力が、
強く刺激されます。
そして、
自力で計算することで、
刺激を受けた潜在能力は、
顕在化して、
子どもの育ちとして現れます。
筆算のたし算を習い始めて、
どうにか自力で答えを出せるようになったとき、
子どもは大きく育ちます。
人の 4つの側面、
肉体、精神、知性、社会情緒の
それぞれの潜在脳力が、
自力で答えを出せるようになったとき、
顕在化して、
子どもの育ちとして現れます。
知性の潜在能力 : IQ だけが、
刺激を受けて顕在化するのではありません。
肉体や、
精神や、
社会情緒の潜在能力も、
刺激を受けて顕在化しています。
ただ、
子どもの育ちを見ているこちらの見方が狭いと、
知性の潜在能力 : IQ だけに、
絞って見ていますから、
他の潜在能力の顕在化に、
気が付かないだけです。
もちろん、
肉体の潜在能力 : PQ や、
精神の潜在能力 : SQ や、
社会情緒の潜在能力 : EQ が、
顕在化して、
育ちとして現れている部分は、
知性の潜在能力 : IQ の顕在化と比べて、
とても小さいために、
見えにくいだけです。
例えば、
問題 の答えを出すために、
①~⑨ を順番にしているとき、
子どもの心に、
さまざまな感情が湧きます。
その感情に支配されずに、
計算を続けるには、
安定した社会情緒が必要です。
つまり、
社会情緒の潜在能力 : EQ が、
強い刺激を受けて、
顕在化して、
より安定した社会情緒に育ちます。
(基本 -747)、(+- -398)