どの子も、
主体性の力が、
生まれながらに備わっています。
でありながら、
残念なことなのですが、
意識的に育てるチャンスに恵まれない子が、
圧倒的に多いのです。
ですから、
ほとんどの子の主体性の力は、
生まれながらに備わっているままの
未開発のレベルです。
だから、
少し難しい算数や数学の計算に出会うと、
主体性の自己責任放棄の
「分からない」のような幼稚な言い方をします。
でも、
生まれながらに主体性の力が
備わっていることは確かですから、
「分からない」とこの子に言われた計算の
次の一歩だけを、
とても短い時間で教えて、
続きの計算を、
この子に任せます。
次の一歩だけを、
教えるだけにして、
やや強引に、
続きの計算をこの子に押し付けますから、
「えっ、これだけしか教えてくれないの?」と、
ポカンとしている子を、
置き去りにします。
置き去りにされた子は、
仕方なしに、
続きの計算に取りかかります。
すると、
計算力が育つだけではなくて、
この子の甘えが少し薄れて、
生まれながらの主体性の力が、
自然に育ちます。
例えば、
= で、
「分からない」と聞く子です。
仮分数 を、
帯分数 10 に変える問題です。
次の一歩は、
= の分子 51 を、
分母 5 で割る・・・と、
計算の仕方を決めることです。
だから、
問題 = の分子 51 を示して、
「これ、割る」と言い、
すぐに続けて、
分母 5 を示して、
「これ」と言います。
こちらのセリフだけを抜き出せば、
「これ、割る」、
「これ」です。
つまり、
51÷5= と計算することを、
リードしています。
そして、
「これ、割る」、
「これ」とリードしたら、
子どもを突き放してしまいます。
問題 = に、
「分からない」と聞いたこの子を、
次の一歩、
「分子 ÷ 分母」だけを伝えて、
置き去りにします。
置き去りにされた子は、
仕方なしに、
分子 ÷ 分母を、
自力で計算しようとします。
こうなったとき、
この子の主体性の力が、
少し育ちます。
もう一つの例です。
= で、
「どうやるの?」と聞く子です。
「分からない」と、
甘える聞き方ではありませんが、
自力で何とかしようとする努力、
主体性の自己責任が弱い子です。
「 は、
ですか?」のように
この子が聞くようになれば、
主体性の力が少し、育っているのですが、
今のこの子は、
「どうやるの?」と聞くレベルです。
問題 = は、
= のことですから、
2つの複素数のかけ算と、
見抜くことができないだけです。
ですから、
次の一歩は、
問題 = を、
いきなりの実況中継のリードで、
= と書き換えさせます。
そして、
この子を置き去りにすることで、
この子の主体性の自己責任を刺激します。
書き換えるだけのリードは、
以下のような実例になります。
「かっこ」、
「に(2)」、
「プラス(+)」、
「ルート()」、
「に(2)」、
「あい( )」、
「かっこ」のようなリードです。
算数や数学の計算問題で、
答えの出し方を、
子どもから聞かれたら、
答えの出し方を教えると同時に、
子どもの主体性の力を育てることができます。
主体性の力を育てるつもりで育てれば、
必ず、育ちます。
(基本 -760)、(分数
-330)