算数や数学の計算の答えの出し方が、
普通ではないらしいと、
気が付くことがあります。
例えば、
問題 6-2+1= を見て、
途中式を書こうとしないで、
2~3秒後に、
答え 5 だけを書くような
答えの出し方です。
通分が必要な帯分数のたし算ひき算です。
問題 6-2+1= を、
2~3秒間、
見ているだけです。
この子の頭の中の動きを、
こちらは見ることができません。
見ることができることが、
問題を、2~3秒間、見ていることです。
そして、
答え 5 を、
6-2+1=5 と書きます。
答えの出し方が、
普通ではないらしいと、
少し注意すれば、
気付くはずです。
ですが、
この子を育てて、
計算スキルを高めることに、
こちらが気負っていますと、
その気負う気持ちが強いために、
普通ではない答えの出し方を、
目の前で見ていながら、
気が付かないことがあります。
こうなると、
「途中式を書かせなければ・・・」と、
勢い込んでしまいます。
そして、
やや強引に、
6-2+1=
6-2+1=
6+1-2=
7-2=
5 のような途中式を、
リードして書かせてしまいます。
子どもが、
嫌がっていることを見ていません。
気が付いていません。
でも、
こうなるのも無理のない話です。
実は、
ただの面倒くさがりの子がいて、
特別な才能と見分けが付きにくいのです。
しかも、
面倒くさがる子の方が多いために、
目にすることが多いのです。
だから、
特別な才能の力で、
問題 6-2+1= の計算を、
こちらにはまったく見えない子どもの頭の中で、
とても速いスピードでしてしまい、
2~3秒後に、
答え 5 が出てしまう子を見ても、
面倒くさがって、
途中式を書こうとしない子に、
見えてしまうのです。
そして、
嫌がっていることを、
途中式を書く手間を嫌がっていると勘違いして、
やや強引に、
途中式 6-2+1=
6-2+1=
6+1-2=
7-2=
5 を、書かせてしまいます。
答え 5 が出ているのに、
いまさら書く必要のない途中式を、
書かされるから嫌がっているのです。
お勧めの態度があります。
常識のように分かっていながら、
できそうでできない難しさがあります。
実にシンプルな態度です。
人は皆、それぞれに違っている。
同じ人はいない。
この事実を、
心底、認めることです。
皆が違う事実は、
常識のようなことですが、
これを受け入れて振る舞うことは、
できそうでできないことです。
そして、
さらに難しいことですが、
「良かった。
あなたは違っているらしい。
その違いを、もっとよく見せてください」と、
この子の特別な才能を、
詳しく知ろうとする態度です。
このような態度で、
この子の特別な才能を、
詳しく知ろうとすれば、
この先のさまざまな計算を、
この子が、どのようにするのかを、
待つ楽しみが増えます。
例えば、
×( + )-= のような四則混合や、
-+1= のような正負の数の加減や、
+= のような方程式で、
この子は、
どのような答えの出し方をするのでしょうか?
(基本 -783)、(分数 -340)