筆算のたし算から、計算手順が出ます。「何を計算するのか?」を探すことが、計算手順の正体です。計算そのものではありません。計算する式を探すことです。

繰り上がりがないのに、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 11 \\ +\: 11 \\ \hline\:\:32\end{array} }} \\ のように、

繰り上がりがあるように計算する子です。

 

もちろん、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 11 \\ +\: 11 \\ \hline\:\:22\end{array} }} \\ が、正しい計算です。

 

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 11 \\ +\: 11 \\ \hline \end{array} }} \\ の筆算のたし算は、

一の位の 1+1=2 と計算して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 11 \\ +\: 11 \\ \hline \:\:\:\:2\end{array} }} \\ と書いて、

十の位の 1+1=2 と計算して、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 11 \\ +\: 11 \\ \hline\:\:22\end{array} }} \\ と書く計算です。

 

たし算 1+1= を計算するときと、

筆算のたし算  {\normalsize { \begin{array}{rr} 11 \\ +\: 11 \\ \hline \end{array} }} \\ を計算するときは、

自分のリードの仕方が少し違います。

 

たし算 1+1= を計算するとき、

「問題 1+1= を見る」ように、

自分が自分自身をリードします。

 

見る目的は、

答え 2 を出すことです。

 

 

これと少し違って、

筆算のたし算  {\normalsize { \begin{array}{rr} 11 \\ +\: 11 \\ \hline \end{array} }} \\ を計算するとき、

まず、

「一の位の 2つの 1 を、

上から下に見る」ように、

自分が自分自身をリードします。

 

見る目的は、

計算対象のたし算 1+1= を探すことです。

 

答えを出すことではなくて、

「何を計算するのか?」を探すことです。

 

自分が自分自身に、

「見る」ようにリードすることは似ていますが、

見る目的が、

かなり違います。

 

 

7+8= を計算して、

答え 15 を出すことや、

12-9= を計算して、

答え 3 を出すことに慣れています。

 

つまり、

答えを出すために、

自分が自分自身を

リードすることに慣れています。

 

でも、

「何を計算するのか?」を探すために、

自分が自分自身をリードすることは、

筆算のたし算  {\normalsize { \begin{array}{rr} 11 \\ +\: 11 \\ \hline \end{array} }} \\ が初めてです。

 

戸惑うのが普通です。

 

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline \end{array} }} \\ でしたら、

一の位のたし算が 7+5=12 ですから、

繰り上がり数 1 があります。

 

この 1 を、

十の位のたし算 2+1=3 に、

3+1=4 と足します。

 

このように、

繰り上がりの計算は、

1 を足すたし算です。

 

 

こういうことですから、

繰り上がりがあるときと、

ないときとで、

「何を計算するのか?」が違います。

 

計算そのもののリードではなくて、

計算する式を探すリードなのです。

 

筆算のたし算になって、

初めて習うのは、

計算手順のような

言い方をすることが多いのですが、

計算する式を探すリードなのです。

 

 

計算そのもののリードと、

計算する式を探すリードを、

交互に使い分けることが、

計算手順の正体です。

 

子どもが、

この 2種類のリードを、

使い分けることができるまで、

筆算のたし算の繰り上がりのミスが続きます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -820)、(+-  {\normalsize {α}} -439)