「紙と鉛筆があれば、
いつでも、どこでも、数学を計算できる」は、
正確ではありません。
もう少しだけ正確にすれば、
「頭の中にイメージを映し出すことができれば、
いつでも、どこでも、数学を計算できる」です。
紙と鉛筆は、
メモとしての一時的な記憶装置です。
頭の中に映し出せるイメージの量に
限りがあるので、
計算を進める中で、
答えそのものや、
その一部分を忘れないように
紙と鉛筆に書いておくだけの
一時的な記憶装置です。
簡単なたし算 8+7= を、
8 の次の 9 から、
9、10、11、12、13、14、15 と、
+7 の 7 回数えて、
答え 15 を出して、
8+7=15 と書くときから、
計算自体は、
頭の中に映し出したイメージで行っています。
紙と鉛筆は、
問題 8+7= が書いてあることと、
答え 15 を書くときに必要です。
8 の次の 9 から、
9、10、11、12、13、14、15 と、
+7 の 7 回数えて、
答え 15 を出すまでの計算自体で、
紙と鉛筆を使わないのです。
簡単なたし算 8+7= を、
数えて答えを出す計算で、
1問だけ計算するのではなくて、
8+7=、5+9=、6+5=、・・・と続いて、
50問、100問と計算すことが多いのです。
8+7= の答え 15 を出した後、
次のたし算 5+9= の答えを出しますから、
次のたし算を計算するとき、
8+7= の答え 15 を忘れてしまいます。
だから、
一時的な記憶装置の紙と鉛筆を使って、
8+7=15 と書いてから、
次のたし算 5+9= を計算します。
紙と鉛筆で、
計算そのものをしていません。
のような方程式になっても、
同じようになっています。
紙と鉛筆は、
忘れないようにするための
一時的な記憶装置です。
この方程式を解くとき、
最初に、頭の中に、
のイメージを映し出します。
方程式 の
x と、y と、z に付いている数(係数)を、
方程式と同じような配置に並べたイメージです。
そして、
頭の中に映し出したイメージ
を見て、
y に付いている数(係数)が、
上から順に、2 、1 、-1 ですから、
x や、z よりも少ない計算で、
y に付いている数(係数)を、0 にできると、
気付きます。
係数を 0 にすれば、
当然、その未知数 y が消えますから、
「 y を消す」と決めます。
さらに、
イメージ から、
2番目の式と、3番目の式を足せば、
1+(-1)= ですから、
y が消えることと、
1番目の式と、3番目の式を 2倍して足せば、
2+2×(-1)= ですから、
やはり、y が消えることまで、
決めることができます。
このような計算をするとき、
紙と鉛筆を使っていません。
頭の中に映し出したイメージ
を、
頭の中で見て、
アレコレと考えて、
計算しているだけです。
この後、
「 y を消す」ために、
2番目の式 2x+y-4z=8 と、
3番目の式 4x-y+3z=26 を足すことも、
頭の中に映し出したイメージで行いますが、
その結果の式 6x-z=34 は、
忘れてしまいますから、
紙と鉛筆の一時的な記憶装置を利用して、
書きます。
このようにして、
頭の中に映し出したイメージで計算するのが、
算数や数学を計算するときに、
実際に行っていることです。
紙と鉛筆は、
忘れてしまうことを防ぐための
一時的な記憶装置です。
(基本 -827)、(+-
-442)、(分数
-356)