「分からない」と聞かれたら、
この子の主体性の率先力の自己責任を、
こちらが、
意識して育てることができるチャンスです。
子どもから聞かれた問題の
答えの出し方だけを教えてしまうだけであれば、
この子の主体性の率先力の自己責任を
育てるチャンスを利用していません。
この子の内面を育てるチャンスを、
利用しようとしないのですから、
もったいないことをしています。
主体性の率先力の自己責任が育てば、
やがて、
この子が、自分自身の育ち自体に、
責任を持つまでになります。
こうなる始めの一歩が、
「分からない」と聞かれたとき、
この子の主体性の率先力の自己責任を
聞かれた問題の答えの出し方の教え方を、
かなり不親切にすることで、
同時に育てることができます。
例えば、
仮分数 = を、
帯分数に書き換える計算問題で、
「分からない」と聞かれたときです。
「幼稚な聞き方だなぁ」、
「もっと違う聞き方があるだろうに・・・」ではなくて、
強いポジティブで、
「しめたチャンスだ」、
「意識してこの子の
主体性の率先力の自己責任を
育てることができる」と捉えます。
「分からない」と聞かれたことを、
このように歓迎して、
この子を育てるチャンスと捉えます。
実は、
こちらのこのような姿勢は、
こちら自身の主体性の率先力の自己責任です。
そしてもちろん、
こちらのこのような姿勢は、
目の前の子の主体性を育てるときの
子どものモデルになっています。
「幼稚な聞き方だなぁ」としてしまう姿勢は、
こちらの反応性ですから、
子どもの「分からない」との反応性を
強めてしまいます。
さて、
仮分数 = を、
帯分数に書き換える計算問題の
この子の主体性の率先力の自己責任は、
「自力で答えを出すこと」へのこだわりです。
「自力で答えを出すこと」への
こだわりが強ければ、
「分からない」とは聞かないはずです。
「やり方を教えてください」や、
「どうやるのですか?」や、
「上、割る、下ですか?」のように、
自力で答えを出そうとする聞き方をします。
「自力で答えを出すこと」へのこだわりを、
強く刺激するために、
次のような不親切な教え方を、
意識的に行います。
「分からない」と聞かれて、
瞬時に問題 = を見て、
次の瞬間、
子どもをリードします。
問題 = の分子 51 を示して、
「これ、割る」と言った後、
分母 5 を示して、
「これ」と言うだけです。
そして、
この子を突き放します。
「自分で答えを出しなさい」との
強いメッセージであり、
「あなたには、そうできる力があります」と、
強く認める応援です。
(基本 -836)、(分数
-359)