帯分数を、仮分数に、正しく変えた子に、「どうやったの?」と聞きます。言葉にする気がありながら、そうできない子でしたら、何らかのヒントを出します。でも、言葉にする気持ちを感じられない子には、こちらが代行して、計算を言葉にする見本を見せます。

帯分数 2 {\Large\frac{1}{5}}= を、

仮分数  {\Large\frac{11}{5}} に変える計算です。

 

 {\Large\frac{1}{5}} {\Large\frac{11}{5}}  と正しくできたので、

この子に、

「どうやったの?」と、

計算の仕方を聞きます。

 

 

この子に聞いていますが、

「どのように計算したのか、

教えてくれる?」と誘っています。

 

つまり、

自分がした計算を、

こちらに、教えさせようとしています。

 

自力で、

 {\Large\frac{1}{5}} {\Large\frac{11}{5}}  のように計算しています。

 

この子が、

自力で行った計算です。

 

だから、

「どうやったの?」に、

何かを言えるはずです。

 

でも、

何一つ、言葉にできません。

 

 

「2 と、5 と、1 で、どうする?」のように、

帯分数 2 {\Large\frac{1}{5}}= のそれぞれの数字を、

3つとも言うことで、

「どのように計算したのか?」を、

言いやすいようにリードすることもあります。

 

時間を掛けて、

このようにリードすることが、

この子の学びになりそうでしたら、

このようなヒントを出すことがあります。

 

 

でも、

「どうやったの?」と聞いた後の

この子の様子を観察すると、

自分がした計算  2 {\Large\frac{1}{5}} {\Large\frac{11}{5}}  を、

言葉にしようとする意欲も、

必然性も感じていないようです。

 

「どうやったの?」の後、

言葉にしようとしていながら、

言葉にできない子でしたら、

「2 と、5 と、1 で、どうする?」のように、

さらに聞きます。

 

言葉にする意欲があって、

言葉にできるものならばすべきだと、

感じている子だからです。

 

意欲も、

必然性も感じていない子に、

「2 と、5 と、1 で、どうする?」のように、

さらに質問をしても、

時間の無駄になります。

 

 

だから、

自分がした計算  2 {\Large\frac{1}{5}} {\Large\frac{11}{5}}  を、

言葉にする意欲も、

必然性も感じていないこの子に、

こちらが代行して、

計算を言葉にする見本をリードします。

 

言い方はさまざまでしょうが、

2×5=10  の九九と、

10+1=11  のたし算を、

言葉にします。

 

こうして、

自分の計算を言葉にすることを、

教えます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -851)、(分数  {\normalsize {α}} -363)