目の前の子の知っている力だけを使って、5+3= の答え 8 を出して見せれば、自分自身を育てたい強い気持ちの内圧を受けているため、盗み取ろうと、真剣になって見ます。答えの出し方を教えるとき、動機付けが要らないのです。

5+3=  の 5 を無言で示して、

「ご」と声に出して読み、

3 を無言で示して、

5 の次の 6 から、

「ろく、しち、はち」と、3回声に出して数えて、

= の右を無言で示します。

 

子どもは見ているだけですが、

「自分が自分自身を育てる」とても強い気持ちを、

生まれながらに備えていますから、

5 を見て、「ご」と読むことや、

「ろく、しち、はち」と数えることは、

「自分でもできる」と、

自然に思います。

 

そして、

= の右を無言で示された子は、

すぐに、5+3=8  と書いて、

こちらが見せる次のたし算  2+3= を、

待ち構えます。

 

このように、

子どもはどの子も、

自分が自分自身を育てようとしています。

 

だから、

こちらが見せる答えの出し方を

貪欲に学ぼうとします。

 

学ぼうとしていますから、

答えの出し方を見せるだけで、

ドンドン吸収して、

同じようにまねして、

自分が答えを出せるようになる・・・と、

意識してではないですが、

強く思っています。

 

 

数字を読むことができて、

どこからでも順に数えることができて、

数字を書くことができる子が、

「知っている」と思えることだけで、

こちらは、

5+3= の答え 8 の出し方を、

速いスピードの動作で見せています。

 

ですが、

5+3=  を見た瞬間、

計算しようとしていないのに、

答え 8 が出るのが、

こちら自身の計算の力です。

 

自分の答えの出し方と、

子どもに見せている答えの出し方とで、

とても大きなギャップがあります。

 

それだけに、

自分の計算の力を使わないで、

目の前の子と同じレベルの力だけに

自らの力を限定して、

しかも、速いスピードの動作で、

答えを出してみせるのですから、

自分自身を強く引き締めています。

 

自分の答えの出し方と

大きく違うモタモタとしたやり方を、

速いスピードで見せるのですから、

内面を引き締めておかないと、

できることではないからです。

 

 

「自分が自分を育てる」とても強い気持ちを、

子ども自身意識できていませんから、

ただ突き動かされるようにして、

こちらが見せる  5+3=  の答えの出し方を、

自分もできるようになる前提で見ています。

 

答えの出し方を見せているこちら自身、

内面を強く引き締めて、

この子と同じレベルの計算の力で、

しかも、

今のこの子にはない速いスピードの動作で、

相矛盾する 2つを共存させていますから、

強く内を向いています。

 

この子を、

教えて育てなければ・・・のような

外向きではないのです。

 

だから、

目の前の子は、

こちらに圧倒されることなく、

実にのびのびと、

自分自身を育てて、

こちらが見せる答えの出し方を、

5~6問見るだけで、

自力で答えを出せるようになります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -869)、(+-  {\normalsize {α}} -463)