7+5= を見たら、答え 12 が、
5+9= を見たら、答え 14 が、
8+3= を見たら、答え 11 が、
何かを考えるようなことを、
少しもしていないのに、
出てしまいます。
とても不思議な力です。
たし算の感覚や、
たし算に習熟や、
体験知のような言い方をされます。
7+5= を、見ただけで、
答え 12 が出てしまうような
計算問題 7+5= を見る特殊な見方が、
実際にあるとして、
その特殊な見方を言葉で説明して、
特殊な見方を子どもに理解させて、
理解できたその子が、
理解できたような特殊な見方で
7+5= を見たら、
特殊な見方で見ただけで、
答え 12 が出るように、
特殊な見方を教えることができるのであれば、
教えてあげたいのです。
でも、
説明の善し悪しではなくて、
そのような特殊な見方などありませんから、
できないことです。
子どもが、自分自身で、
7+5= を、見ただけで、
答え 12 が出てしまう力を、
つかむしかないことです。
だから、
たし算の感覚であり、
たし算に習熟であり、
体験知なのです。
7+5= を、数える計算の子は、
数える気持ちで、7 を見て、
次の 8 から、
+5 の 5回、8、9、10、11、12 と数えて、
答え 12 を出します。
「自分は、数えて答えを出している」と、
言葉にできない感覚として、
理解できています。
そして、この子は、
自分の周りの大人や子どもが、
7+5= を見てすぐ、
7+5=12 と書くことを見て知っています。
「えっ、すぐ答えが出ている」、
「数えたりしていないらしい」、
「見ただけらしい」のように、
言葉にならない感覚的な理解で、
自分と違う答えの出し方をしていることに、
何となく気付いています。
そして何となく、
「自分は、数えて答えを出している」と、
比べるとはなく比べて、
自分とは違う答えの出し方があることに、
気付くとはなく気付いています。
人は、
自分を生かそうとする生き物ですから、
WinLoseが初期設定になっているようです。
WinLoseになるには、
優劣を比べることが必要ですから、
比べることも、初期設定になっているようです。
周りの大人や子どもを見て、
そうしていると自覚しないままに、
初期設定の比べることが働いて、
7+5= の答え 12 の出し方を、
比べるために見てしまいます。
そして、
何となく自分と違う答えの出し方に気付いて、
しかも、
7+5= を見てすぐ、
7+5=12 と書くことに、
「えっ、すぐ書いている」のように感じています。
7+5= を数えて答えを出す子は、
このようなことに気付いています。
この子が、
たし算の感覚のような体験知を、
自力で持つ手伝いをするこちらは、
この子の内面が、
こうなっていることを理解しておきます。
そして、
「見たら答えが出るようになる」と、
この子の代行で、
こちらの心の中に、強い思いを持って、
たし算の数える計算のスピードを速めて、
次々に答えを出すようにして、
50問や 100問を、
2~3分や、5分前後で終わらせてしまいます。
このようなリードを繰り返すことで、
子どもは、2つの体験知を持ちます。
7+5= を見たら、答え 12 が出る力と、
このような体験知を持つ体験の仕方です。
ただ、
たし算の感覚を持たせるだけではなくて、
体験知を持つ体験の仕方も、
同時に習うことができますから、
たし算が、算数や数学の基礎なのです。
(基本 -910)、(+-
-485)