は、
繰り下がりがありません。
6-5=1 、
7-2=5 と引いて、
と書きます。
も、
やはり、
繰り下がりがありません。
6-6=0 、
7-3=4 と引いて、
と書きます。
は、
繰り下がりがあります。
6-8= 計算できないので、
16-8=8 と引いて、
7 を、1 減らして、6 にして、
6-5=1 と引いて、
と書きます。
同じように見えるひき算なのに、
「1 を付けないまま引く」こともあれば、
「1 を付けて引く」こともあります。
答えの出し方が、
かなり違います。
捉えどころがないままに、
翻弄されています。
ひどく混乱しているのに、
このような計算まで練習します。
5-5=0 、
7-7=0 と引いて、
とは書かないで、
と書きます。
すでに、
ひどく混乱しています。
このような計算問題で、
混乱がひどくなります。
このような子に、
こちらができることは、
嵐の海原を照らす灯台になることです。
混乱しているのは、
この子です。
そして、
この子を混乱させていることが、
繰り下がりの有無で、
答えの出し方が大きく違うことです。
この子ではないこちらは、
混乱していません。
混乱していないこちらが、
闇夜を照らす灯台になります。
灯台になることが、実は、
ひどく混乱しているこの子に、
こちらの教え方を、
一定の出方に固定することです。
例えば、
の 6 と 8 を、
同じような動作で示して、
同じような口調で、
「6-8= 、できない」、
「16-8=8」と引いて、
同じような動作で、
8 の真下を示します。
動作や、セリフや、口調まで
同じような出方で教えられたら、
ひどく混乱している子どもは、
安定して、
同じであることに救われます。
そして、
と書きます。
こちらは、
同じような出し方の教え方を続けます。
の 7 を、
同じような動作で示して、
「1 減って、6」、
「6-5=1」と引いて、
同じような動作で、
5 の真下を示します。
同じ出方に救われながら、
子どもは、
と書きます。
嵐の闇夜に、
灯台の光を見るように、
ひどく混乱しているこの子は、
こちらの安定した一定の出し方に救われます。
(基本 -992)、(+-
-527)