答えを出すことだけを見せて、教えます。子どもは、答えを出すことだけを学びます。自然な結果として、答えを出すことへの子どものこだわりが強くなります。

答えを出すことだけを教えます。

 

言葉で説明しません。

こちらが答えを出すことを見せるだけです。

 

こうすると、

子どもが学ぶことは、

答えを出すことだけになります。

 

例えば、

3+1=  のたし算の初歩です。

 

3 を無言で示して、

「さん」と言うだけにして、

1 を無言で示して、

「し」と言うだけにして、

= の右の余白を無言で示して、

「し」と言うだけにします。

 

言葉で説明しません。

答えを出すことを見せるだけです。

 

これだけのことを見て聞いた子は、

3+1=4  と書きます。

 

答えを出すことだけを学んでいます。

 

 

あるいは、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline \end{array} }} \\  の筆算のたし算です。

 

7 と 5 を無言で示して、

「しち足すご、じゅうに」と言うだけにして、

5 の真下を無言で示して、

「に」、

「指、いち」と言うだけにします。

 

これだけのことを見て聞いた子は、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline \:\:\:\:2\end{array} }} \\  と書いて、

自分の指を 1本伸ばします。

 

続けます。

 

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline \:\:\:\:2\end{array} }} \\  の問題の 2 と 1 を無言で示して、

「に足すいち、さん」と言うだけにして、

子どもが伸ばした指を、無言で触って、

「いち増えて、し」と言うだけにして、

1 の真下を無言で示して、

「し」と言うだけにします。

 

子どもは、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} 27 \\ +\: 15 \\ \hline\:\:42\end{array} }} \\  と書きます。

 

答えの出し方を、

言葉で説明していません。

答えを出すことを見せているだけです。

 

ですから、

子どもは、

答えを出すことだけを学んでいます。

 

 

このような教え方だけを繰り返しますから、

自然な結果として、

子ども自身の

答えを出すことへのこだわりが強くなります。

 

答えを出すことしか目にしていないし

学んでいないからです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1002)、(+-  {\normalsize {α}} -533)