の計算は、
7×8=56 と九九を計算して、
と、6 を書いて、
5 を、次の九九の答えに足すと待ち伏せて、
7×7=49 と九九を計算して、
足すつもりで覚えている 5 を、
49+5=54 と足して、
と書きます。
2回の九九と、
繰り上がりのたし算の計算の流れを、
子どもはすぐにつかみます。
そして、
自力で計算できるようになります。
九九も、
1つの段を、6秒の速さで言う実力です。
楽に答えが出ます。
ですが、
繰り上がりのたし算 49+5= で、
止まる子が多いのです。
繰り上がり数を、覚えることと、
足すことは、つかんでいます。
たし算自体に、
難しさを感じています。
こうなる子が多いのです。
たし算を、できないのではありません。
「見たら答えが出る」を
美しい計算と感じている
子どものこだわりなのです。
7+8= を見ただけで、
瞬時に答え 15 が出る感覚を持っています。
7+6=、5+9= のようなたし算 25問を、
20秒の速さで終わる実力です。
「たし算は得意」と、自信を持っています。
このこだわりから、
離れられないのです。
楽に答えが出るはずのたし算の
答えを出せない事実に、
「えっ、どうなっているの?」、
「たし算の答えが出ない」と、
驚いてしまい、
思考停止状態です。
美しいと感じるような解き方を
できなくなっていることへの戸惑いです。
7+6= でしたら、
書かれた問題を見ても、
「しち足すろくは?」と、
口頭で聞かれても、
頭の中の暗算で、
7+6= をイメージとして見ても、
瞬時に答え 13 が出ます。
「計算して、努力して、出す」のではありません。
頭を動かしたと思うことなく、
7+6= を、
イメージしただけで、
答え 13 が出ます。
子どもは、
このような解き方に
美しさのようなことを感じているようです。
でも、
7+6=、5+9= のようなたし算だからです。
49+5= レベルのたし算まで、
感覚として答えを出す力を
持っていないのです。
頭の中で、
49+5= をイメージしただけで、
答え 54 が出る感覚を持っていないのに、
「たし算は楽にできる」と思っていますから、
答えが出ないことがショックなのです。
美しいと感じる解き方への
こだわりのようなものです。
たし算の感覚は、
7+6=、5+9= のようなたし算についてです。
49+5= のようなたし算は、
感覚の対象外なのです。
答えが出なくて、
当然なのです。
美しいと感じる解き方を
できると勘違いしているだけなのです。
美しいと感じる解き方へのこだわりよりも、
答えを出すことへのこだわりの方が強ければ、
とても泥臭いやり方ですが、
「数えれば答えが出る」ことを思い出して、
49+5= の答えを、
50、51、52、53、54 と 5回数えて、
答え 54 を出してしまいます。
答えが勝手に出なければ、
数えて、答えを出せばいいのです。
答えを出すことへの
こだわりを大事にすべきなのです。
の計算で、
と、6 を書いて、
繰り上がりのたし算 49+5= を、
頭の中にイメージしただけで、
勝手に答えが出ないのであれば、
50、51、52、53、54 と 5回数えて、
と書き終わればいいのです。
たし算の感覚を使えないから、
たし算への自信が揺らいで、
美しいと感じる解き方に
こだわってしまうために、
計算が途中で止まるのは、
答えを出すことへのこだわりが弱いからです。
たし算の感覚が働かなければ、
数えて、答えを出すことを
選ぶだけの内面の強さが育っていないからです。
計算スキルだけを育てようとすると、
答えを出すことへのこだわりや、
答えを出す方法を選ぶ主体性が、
残念ながら育ちません。
計算スキルと同時に、
答えを出すことへのこだわりや、
答えを出す方法を選ぶ主体性も育てると、
こちらが意識すれば、
育ちます。
ただそれだけのことです。
(基本 -1007)、(×÷ -182)