日常の世界で、苦手で、嫌いな繰り下がり計算を、非日常の世界の「非日常の学び」で、答えを出せるようにします。すると、日常の世界の「日常の学び」で教えられることを、理解できるようになります。

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 64 \\ - 35 \\ \hline \end{array} }} \\  の繰り下がり計算を、

「4-5= 、引けない」、

「14-5=9」とだけ教えて、

子どもに、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:64 \\ -\: 35\\ \hline \:\:\:\:9\end{array} }} \\  と書かせてしまいます。

 

「非日常の学び」です。

 

「日常の学び」では、

言葉で説明します。

 

例えば、

「一の位の 4 と、5 を、

上から下に引きます」、

「でも、4-5=  は、引くことができません」、

「引くことができるようにできます」、

「4 の左隣の 6 から、1 を借ります」、

「4 の左隣からですから、

左隣に、借りた 1 が付いて、

4 が、14 になります」、

「こうすれば、

4-5=  が、

14-5=  に変わります」です。

 

 

さて、

日常の世界で、

繰り下がり計算が、

苦手な子です。

 

嫌いになっています。

 

この子に、

日常の世界の「日常の学び」を続けても、

繰り下がり計算は、

苦手で、嫌いなままになるのが普通です。

 

このようなとき、

この子に、

非日常の世界の「非日常の学び」で、

繰り下がり計算を教えます。

 

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 64 \\ - 35 \\ \hline \end{array} }} \\  の一の位のひき算を、

「4-5= 、引けない」、

「14-5=9」とだけ教えれば、

子どもは、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:64 \\ -\: 35\\ \hline \:\:\:\:9\end{array} }} \\  と書きます。

 

「4-5= 、引けない」も、

「14-5=9」も、

納得できる計算です。

 

4 が、

14 に変わる理由を説明しないことで、

苦手で、嫌いなままを受け入れています。

 

これが、

「非日常の学び」です。

 

 

続いて、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:64 \\ -\: 35\\ \hline \:\:\:\:9\end{array} }} \\  の十の位のひき算を、

「1 減って、5」、

「5-3=2」とだけ教えれば、

子どもは、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:64 \\ -\: 35\\ \hline \:29\end{array} }} \\  と書きます。

 

「1 減って、5」も、

「5-3=2」も、

やはり、納得できる計算です。

 

1 減る理由を説明しないことで、

苦手で、嫌いなままを受け入れています。

 

こうすると、

日常の世界で、

苦手で、嫌いな繰り下がり計算を、

非日常の世界では、

苦手で、嫌いと無関係な学び方ですから、

答えを出せるのです。

 

そして、

非日常の世界で、

繰り下がり計算の答えを出せるようになって、

日常の世界に戻ると、

「隣から借りて、1 を付けること」や、

「隣に貸したから、1 減ること」を、

不思議と理解できます、

 

(基本  {\normalsize {α}} -1017)、(+-  {\normalsize {α}} -540)