「理解すること」と、
「自力で答えを出すこと」は、
「無関係」という関係です。
「理解できていれば、
自力で答えを出せる」は、
本来、無関係なことを
無理に並べているだけです。
理解することは、
「入れる学び」です。
自力で答えを出すことは、
「出す学び」です。
向きが真逆なのです。
「理解できていれば、
自力で答えを出せる」を
受け入れたとして、
を理解できていて、
の答えを自力で出せない子を、
次のように捉えるのでしょう。
を理解できているから、
自力で答えを出すことができるけれど、
を理解できていないから、
自力で答えを出すことができません。
だから、
この子は、
の答えの出し方を聞くのです。
つまり、
ここで言う「理解」は、
「3けた×2けた」の理解ではなくて、
個々の計算問題の理解です。
でも、
子どもは、
ハッキリと区別しています。
の答えの出し方を
理解するために知りたいのではなくて、
自力で計算するために知りたいのです。
つまり、
の答えの出し方を
理解したいなどと、
子どもは思ってもいないのです。
自力で答えを出せるようになりたいために、
「どうやるのですか?」のように、
聞くのです。
それでも、
この子に、
の答えの出し方を
言葉で説明して、
理解させようとしますか?
こうしてしまうと、
残念ながら、
子どもの聞きたいことに
答えていないことになります。
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