「できる」ことを繰り返すと、「できないこと」が、「できること」に変わります。分数計算の流れを例にして話します。

見せることができることを、

見せることで、

子どもはまねすることができます。

 

「見せること」は、

こちら自身のできることです。

 

「まねすること」は、

子ども自身のできることです。

 

 

できることを

ひたすら繰り返すと、

人の生まれながらに授かる不思議な力で、

できないことも

できるように変わります。

 

できないことは

できないのですから、

一度も、行っていないのです。

 

できることだけを

繰り返し行っただけです。

 

それなのに

できないことが

できるようになります。

 

 

その一例が、

 {\Large\frac{2}{3}}-2 {\Large\frac{4}{9}}=  を、

見ただけで、

無意識の習慣で、

 {\Large\frac{6}{9}}-2 {\Large\frac{4}{9}}=3 {\Large\frac{2}{9}}  と計算できる力です。

 

 {\Large\frac{2}{3}}-2 {\Large\frac{4}{9}}=  を見て、

「帯分数」、

「ひき算」、

「異なる分母」、

「通分」、

「共通分母」・・・・・・のような

アレコレの言葉で考えていないのに、

共通分母 9 を、

ある種の感覚で思い付き、

 {\Large\frac{6}{9}}-2 {\Large\frac{4}{9}}=3 {\Large\frac{2}{9}}  と、

通分してから、

整数部分同士、

分子同士を引いています。

 

 

共通分母 9 を思い付く感覚や、

共通分母を探して、

通分して、

整数部分同士と、

分子同士を引くような

順序の付いた計算の流れを

思い付いて

実際に行ってしまう力は、

「できること」を

繰り返し行った結果、

以前は、「できないこと」が、

「できること」になった力です。

 

ここでの「できること」は、

こちらが見せる

 {\Large\frac{2}{3}}-2 {\Large\frac{4}{9}}=  の答えの出し方を

「まねすること」です。

 

「まねすること」を

ひたすら繰り返すことです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1565)、(分数  {\normalsize {α}} -611)