筆算のひき算の繰り下がりの計算に慣れるまで、繰り下がりが嫌で、何回も集中を切らせています。切れている集中を戻すことは、体験知です。繰り返し、切れている集中を戻す体験から生まれます。

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 64 \\ - 35 \\ \hline \end{array} }} \\  の繰り下がりに慣れて、

半ば習慣のように、

速いスピードで計算できます。

 

4 と 5 を見て、

14-5=9  と引いて、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:64 \\ -\: 35\\ \hline \:\:\:\:9\end{array} }} \\  と書いて、

64 の 6 を、5 にして、

35 の 3 を見て、

5-3=2  と引いて、

 {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:64 \\ -\: 35\\ \hline \:29\end{array} }} \\  と書く計算の一連の流れを、

半ば習慣のように、

次々に進めます。

 

深く集中しているように見えます。

 

 

こうなるまでの子は、

{ \normalsize { \begin{array}{rr}\:\:\:\: 64 \\ - 35 \\ \hline \end{array} }} \\  の繰り下がりが嫌で、

周りのチョットしたことに、

すぐに気を取られて、

計算から離れています。

 

そして、

しばらく、ボ~ッと計算から離れていて、

何かの拍子に、思い出したように、

繰り下がりのひき算に戻ります。

 

 

ボ~ッとしていることに気付いたら、

そのこと自体に何も触れないで、

計算していないことだけを気にして、

止まったままの計算に、

実況中継型リードを見せて、

子どもを参加させながら、

答えを出してしまいます。

 

ボ~ッとしていることに気付く度に、

このような指導を繰り返すことで、

「ボ~ッとすることは、誰にも起こる」、

「起こっても、気にしない」、

「ボ~ッとしたまま、計算に戻ることを

リードするから、体験してね」、

「やがて、同じようなことを、

自力でできるようになるから」のような感じです。

 

集中が切れて、

計算から離れているとき、

短時間の集中の切れで、

計算に戻ることは、

繰り返し体験した後の体験知なのです。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1643)、(+-  {\normalsize {α}} -921)