暗算形式 832-356= の繰り下がり計算を、つかめそうでつかめない子です。そして、「難しい」としています。「面白い」や、「心が燃えている」や、「幸せ」を選ぶこともできます。このような選択の自由を、やがて使える子に育てます。

暗算形式  832-356=  のひき算の

答えの出し方を

つかめそうで、

つかめない状態が続いている子です。

 

832-356=  の一の位同士の

2 と 6 を、左から右に見て、

「2-6=、引けない」、

「12-6=6」と引いて、

答えの一の位として、

832-356=  6  と書いて、

十の位同士の 3 と 5 を、左から右に見て、

3 は、1 減って、2 になっているので、

「2-5=、引けない」、

「12-5=7」と引いて、

答えの十の位として、

832-356= 76  と書いて、

百の位同士の 8 と 3 を、左から右に見て、

8 は、1 減って、7 になっているので、

「7-3=4」と引いて、

答えの百の位として、

832-356=476  と書く計算です。

 

確かに、

これだけの計算の流れを

正しい順に、すべて、

つかみ取るのですから、

つかめそうで、

つかめない状態になるでしょう。

 

 

つかめそうで、

つかめない状態が続いているとき、

暗算形式  832-356=  のひき算の問題を、

「難しい」としますか?

 

でも、

つかめそうで、

つかめない状態が続くから、

「難しい」とは限らないのです。

 

どのような気持ちを選びますか?

 

と、

選択の対象なのです。

 

 

つかめそうで、

つかめない状態が続くから、

「面白い」を選ぶことも、

「心が燃えている」を選ぶことも、

「幸せ」を選ぶことも、

自由にできるのです。

 

このような選択の自由が、

人間が生まれながらに持っている力です。

 

でも、

子どもに、アレコレと、

理屈を説明しても、

今度は、

「面倒くさい」を選ぶとはなく、

選ばれてしまうでしょう。

 

ですから、

暗算形式  832-356=  のひき算を、

筆算形式   {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:832 \\ - \: 356 \\ \hline \end{array} }} \\  に書き換えて、

計算させます。

 

すると、

暗算形式  832-356=  のひき算に

感じていた「難しさ」は、

固定されたものではなくて、

何かと比べただけのものだと、

何となく気付くようです。

 

つまり、

筆算形式   {\normalsize { \begin{array}{rr} \:\:\:\:832 \\ - \: 356 \\ \hline \end{array} }} \\  の計算に比べたら、

暗算形式  832-356=  の計算は、

「難しい」だけのことなのです。

 

 

だからすぐ、

「難しい」は、

選ぶとはなく、

選んだだけのことであって、

「面白い」や、

「心が燃えている」や、

「幸せ」を選ぶこともできるとは

そうそう簡単になりません。

 

「難しい」が、

暗算形式  832-356=  の計算に、

固定されて付いているのではないことに

気付けば、

先に進めますから。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1652)、(+-  {\normalsize {α}} -925)