「数学の新しい対象に慣れること」は、
体験知です。
何らかの説明を受けて、
理解して得る学習知ではありません。
このような学習知を得ることは、
理解する力を向上させる体験知を、
持つことになるでしょう。
でも、
体験知としての
「数学の新しい対象に慣れること」は、
生み出せないでしょう。
例えば、
-5 のマイナス(負)の数や、
のルート(平方根)や、
の虚数です。
2-7=-5 や、
-1-4=-5 や、
(-5)×(-2)=+10 のような計算を、
必要なだけ十分に練習すると、
その結果、
マイナス(負)の数に慣れます。
理解ではありません。
「慣れること」が、
自然に起こります。
体験知としての慣れです。
2+3=5 や、
×=2 や、
×= のような計算を、
必要なだけ十分に練習すると、
その結果、
ルート(平方根)の数に慣れます。
やはり、
理解ではありません。
「慣れること」が、
自然に起こります。
理解するだけの学習知ではなくて、
計算の答えを出す体験知が生み出す
「慣れること」です。
この「慣れること」自体も、
体験知になっています。
その子特有の体験知です。
「慣れること」自体を、
言葉にすることが難しい
アナログデータです。
5-2=3 や、
×=-1 や、
2×4×3=-24 のような計算を、
必要なだけ十分に練習すると、
その結果、
虚数の数に慣れます。
虚数を理解するだけの学習知ではなくて、
虚数の計算の答えを出す体験知が生み出す
「虚数に慣れること」です。
この「虚数に慣れること」自体も、
体験知になっています。
その子特有の体験知です。
「虚数に慣れること」自体を、
言葉にすることが難しい
アナログデータです。
(基本 -1663)、(分数 -640)