暗算のたし算 7+6= の答え 13 が、瞬時に出るような感覚を持つまで、たし算を練習させる覚悟を持ちます。主体性の自己責任です。

7+6=、9+3=、8+7=、・・・・・・。

暗算のたし算 100問~200問を、

「楽にスラスラと次々に」答えを出せる子です。

 

この子に、

たし算の練習を繰り返します。

 

「えっ、まだやるの?」と、なります。

 

「えっ、まだたし算なの?」、

「もう、できるよ・・・」と思っている子に、

それでも、

たし算の練習を繰り返させます。

 

「問題を見たら答えが出る」何かを、

この子が、つかむまで、

たし算の練習を繰り返させます。

 

こちらは、

こうさせる覚悟を持ちます。

 

 

と、

このような話の「覚悟」は、

主体性の自己責任のことなのです。

 

子どもに対する責任ではないのです。

 

こちら自身に対する責任なのです。

 

 

子どもは、

「えっ、まだたし算なの?」、

「もう、できるよ・・・」ですから、

暗算のたし算の練習を

少しもまともにしようとしません。

 

見るからに嫌々なのです。

 

集中がプツプツ切れる。

あくびをする。

寝てしまう。

いたずら書きを始める。

「あ~ぁ、嫌だなぁ」と言い続ける。

などなど。

 

でも、

これらはすべて、子どものことです。

 

こちらのことでは、ありません。

 

 

こちらが、

子どものすることに、

それが何であろうとも、

気にすることや、

やめさせようとすることは、

子どもに依存しています。

 

こちらの主体性ではないのです。

 

「問題を見たら答えが出る」何かをつかませる

責任など、

ないことになります。

 

 

こちらは、

「問題を見たら答えが出る」何かを

子どもにつかませる責任、

こうなる結果を出す責任を

主体性の自己責任で持ったのです。

 

子どもが、

何をしようとも、

何もしなかろうとも、

すべて、子どものことですから、

こちらの主体性の自己責任と

まったく関係のないことです。

 

「問題を見たら答えが出る」何かを

子どもがつかむまで、

暗算のたし算の答えを出すための

実況中継型リードで

子どもを手伝い続けます。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1707)、(+-  {\normalsize {α}} -957)