「出す学び」をしていれば、している子どもが主役です。こちらの説明を理解する「入れる学び」をしてしまうと、子どもは、脇役になります。

「出す学び」ができていれば、

子どもが主役になっています。

 

「入れる学び」に変わってしまったら、

入れる何かを出すこちらが主役で、

子どもは、脇役になってしまいます。

 

これだけのことなのです。

 

 

例えば、

3×(5-3)= の計算順を、

① かっこの中の -、

② かっこの左の × と、

子どもが決めたとすれば、

計算順を出したのですから、

「出す学び」です。

 

計算順を出したのは、

子ども自身ですから、

子どもが主役なのです。

 

 

人差し指を、つままれて、

「こう」と言われながら、

計算順を指さしていけば、

こちらにリードされた疑似体験ですが、

計算順を出しています。

 

3×(5-3)= の

かっこの中の - を、

「こう」と言われながら、示して、

かっこの左の × を、

「こう」と言われながら、示して、

こちらにリードされて、

指を動かすような疑似体験です。

 

疑似体験ですけれど、

計算順を出しています。

 

「出す学び」をしていますから、

こちらにリードはされていますが、

子どもが主役なのです。

 

 

3×(5-3)= の計算順を、

言葉で説明されたら、

何らかの情報を受け取りますから、

「入れる学び」です。

 

こちらが、

情報を生み出していますから、

こちらが主役です。

 

情報を受け取る子どもは、

脇役になります。

 

 

「3×(5-3)= の計算順の決め方です」、

「かっこの中は、5-3  です」、

「このひき算が、1番目の計算です」、

「かっこの左は、3×  です」、

「このかけ算が、2番目の計算です」と、

このような説明を、

子どもが受け取れば、

脇役なのです。

 

この一連の説明を生み出したこちらが、

主役になります。

 

(基本  {\normalsize {α}} -1714)、(分数  {\normalsize {α}} -658)